絹人往来

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歴史研究 堅曹の人物像に迫る 築比地規雄さん(64) 太田市西本町 掲載日:2007/07/27


本県のシルク産業にかかわった人物史研究を進める築比地さん
本県のシルク産業にかかわった人物史研究を進める築比地さん

 本県絹産業遺産群の世界遺産登録運動を行う富岡製糸場世界遺産伝道師協会で、歴史研究を行うグループの代表を務めている。器械製糸の発展に尽くした前橋藩士、速水堅曹が残した日記から速水の人物像に迫ろうと精力的に活動している。
 「子供のころから好きだった歴史の勉強をして、研究成果を残すことでシルクカントリー群馬の役に立てる。こんなに楽しい活動はない」
 同協会には設立時の2004年に入会。退職を機に入学した大学の通信教育で歴史を学んでいた時期だった。
 「郷土史に興味があった。ただ、太田市在住ということで高山彦九郎や新田荘のことは勉強していたが、製糸関連の歴史はあまり知らなかった。これをきっかけに勉強してみるかと入会を決めた」
 協会員になり勉強を始めると、養蚕や製糸、生糸、織物が群馬の発展に大きく貢献してきたことを実感した。
 「以前、働いていた銀行が繊維業の好況に比例して業績を伸ばしたことは知っていたが、全県に大きな影響を与えていたことにあらためて驚きを感じた」
 05年には協会の方針で、会員がグループをつくり、それぞれ歴史や立地などさまざまな観点から本県のシルク文化について研究することが決定。歴史研究グループの代表者として、具体的なテーマを考えることになった。
 「テーマを何にしようか考えている時、堅曹の子孫の速水美智子さんがグループの一員となった。美智子さんから『堅曹の日記をコピーしたものが手元にあるが、昔の文字や言葉で難しい。詳しい内容を理解したい』と相談を受け、日記の現代語訳をグループで行うことになった」
 現代語訳と並行して、堅曹の生い立ちや業績も調べ、同大に卒業論文として提出した。
 「堅曹は藩士や明治新政府の役人として富岡製糸場の経営を任されるなど、与えられた環境で十分に力を発揮した人で、尊敬出来る。研究のやりがいがあった」
 現在、グループの仲間と、堅曹が65歳の時に書いたとされる自叙伝「六十五年記」を読み込み、現代語訳した日記が正確か確認する作業を進めている。日記の現代語訳は、堅曹の没後100年目に当たる13年までに出版する予定だ。

(太田支社 松下恭己)