和裁職人 普及へ「二部式」考案 田部井 アサさん(86) 太田市東本町 掲載日:2007/4/24
「これは20歳のころから着ていた着物。また袖を通してみようかしら」と話す田部井さん
「絹はきれいだよね。縫うのにも肌触りがいいし。木綿だと何枚か重ねると厚いから縫えなくてね。だから私は絹の着物が好き」
和裁教室を開いて60年ほど。盛んだった40年前は生徒が20人もいて、部屋に入りきらなかった。生徒の人数は減ったが、いまだ現役だ。20代の若い女性に着物の縫い方を伝授している。
「しっかり頑張ってねって言うの。私は学校で教わった通りにしか作れないから、手を抜くことができない。その代わり、一針一針ていねいに縫うから着物が着崩れず長持ちするのよ」
7人きょうだいのちょうど真ん中。両親を幼いころに亡くしたため、一番上の姉・サダさん(享年68)とすぐ上の兄・正二さん(享年27)が親代わりだった。和裁を薦めたのも正二さんだった。
「兄さんがお前には勤め人じゃなくて、手に職をつけてもらいたいって言ってくれてね。新田裁縫女学校っていう和裁の学校に通わせてくれた」
16歳の時だった。2年目からは腕の良さが認められ、学びながら生徒にも指導していた。太田市内の小学校で裁縫の授業を受け持った経験もあった。
「結婚後も、呉服屋から頼まれた着物の仕立てを子供を背負いながらせっせとやっていた。一番忙しかったころは一日に裏地付きの着物なら1枚、浴衣なら2枚縫っていた。職がないことはなかった。何もかも無我夢中だった。その人の格好に合うとうれしくて」
30年前には、和服を上着と腰巻きスカートに分けた「二部式着物」を考案するなど、和服の普及に向けて積極的に活動した。1996年にはその活動が認められ、卓越した技能者として「現代の名工」に選ばれた。
「着物は、体形がきれいに見える。だから、普段でも簡単に着られるように、古くなった着物は切って二部式にした。腰袋の調整とか面倒な作業がないし、帯を締めれば普通の和服と見分けがつかないしね」
今、和裁を薦めてくれた正二さんと母親代わりになってくれたサダさんに感謝している。和裁はきょうだいのきずなの証しでもある。