継続 朝4時起きで桑摘み 斎藤 雄司さん(57) 太田市市場町 掲載日:2008/02/29
自動繭毛羽取機を前に、養蚕について語る斎藤さん
『今も蚕をやっている』なんて言うと、『文化財なんだから続けなさいよ』って言われる。もうけはほとんど無いけどやめられなくてね」
地域で数少なくなった現役の養蚕農家。子供のころ、親族を含めた大勢で行っていた作業は、妻の也恵子さん(48)と2人で続けている。最盛期で800キロに上った繭年産は4分の1に減少した。将来にわたって継続する意思はあるものの、「買い取り価格がもう少し良くなってくれないと」と不安を口にする。
現在の養蚕は春と晩秋の年2回。共同飼育所で3齢まで飼育された蚕が農協を通じて運び込まれ、作業が始まる。
「うちでする作業期間中、蚕でいるのは4齢から5齢にかけての17日間くらい。昔と同じように朝4時すぎに起きて、かまや枝切りばさみで桑の葉を摘む。原則は『不断給餌』。いつでも蚕に葉をあげられるよう準備しておかなければならない」
「ただ、蚕から上蔟(じょうぞく)してからも、ほっとしてばかりいられない。温度管理は上蔟してからの方が大変なんだ」
子供のころから体に染み付いている養蚕。旧山田郡毛里田村(現太田市)に農家の長男として生まれた。物心つくと、家業の労働力の一員に組み込まれていた。
「子供は大人の仕事の“てこ”で、補助的なことを何でもやらされた。養蚕は一カ月で現金になる仕事だから、親せきが集まって協力した」。外国産の流入で国産繭の需要が減る以前は、養蚕作業は最も多い時期で年5回だった。
出荷前に倉庫から出してくる自動繭毛羽取機は修理しながら使っている。古くて機械の製造業者が見つからないためだ。養蚕を継続するにも、周辺の環境は厳しい。
二千平方メートルほど所有している桑畑は、養蚕が盛んだった往時の植生の姿をとどめている。
「でも子供のころ、甘くておいしいと思ったドドメ(桑の実)の味が、とても酸っぱく感じるんだいね」
時代とともに、養蚕の位置付けや取り巻く人の変化を実感しながら、「養蚕復活」の日を夢見ている。