絹人往来

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1トン出荷農家の誇り 寒暖計 角橋 治助さん(74) 伊勢崎市市場町 掲載日:2008/04/26


回転蔟(まぶし)を前に「5月から蚕が始まる。また忙しくなるよ」と話す角橋さん
回転蔟(まぶし)を前に「5月から蚕が始まる。また忙しくなるよ」と話す角橋さん

 古くからの養蚕農家に生まれ、県の蚕業試験場や片倉工業などに数年間勤めた。1968年、市場町や堀下町の農家の組合が「赤南稚蚕共同飼育所」を設立し、飼育担当として常勤で指導に当たった。飼育所では、自分の家で受け取る蚕の量ごとに、当番で農家の女性が出てきて作業をした。
 「『大部屋式』といって群馬一大きな飼育所だった。それこそ体育館みたいにね。そこに130人もの女性が働いてたんだ。自分のとこに来る蚕を育てるんだから、みんな真剣になってやっていた」
 飼育所から届けられた蚕を育て、自身は最盛期に年間150キロの収繭量を誇った。繭は片倉工業に出荷。1トン以上の農家に贈られる「片倉富岡工場前橋出張所片倉一頓会」と書かれた寒暖計は今でも、家にいくつか残っている。
 「養蚕は春、夏、初秋、晩秋と年4回やっていた。桑が足りなくなってよそへ買いに行ったこともあった。場所がなくて、庭でもやっていたね。雨に降られたり、鳥の餌になったり。大変だった。よくやってたなあと今でも思うよ」
 「寒暖計は1トン以上取れた証し。褒められたということだから気持ちよかったね。あの家も取ったからうちでも、と競争心があって、一生懸命働いた」
 養蚕も徐々に下火になり、最近は収繭量も600キロほどに減った。消毒薬を製造する会社が倒産したり、けば取り機のゴムを作る会社がなくなるなど、養蚕業にとっては多難な時代だ。桑に農薬が付かないかなどと心配事も多い。
 「できる限り続けていきたいけど、後継者はいないし、自分の代で養蚕は終わり。でも、蚕が大きくなっていく様子を見るのはうれしい。野菜よりも養蚕の方が楽しいんだ。大変だけど、やりがいはある」
 前橋に住む、幼稚園から中学生の孫たちは、家にやってくると蚕を見たり、上じょうぞく蔟の手伝いをしたりしてくれる。「今の人たちは蚕を見ると、『うわー』なんていうけど、蚕はかわいいんだよ。孫たちもうれしそうに見てるんだ」
 孫や蚕の話になると、目を細める。

(伊勢崎支局 高瀬直)