高山社 企画展で功績伝える 志村 哲さん(51) 藤岡市藤岡 掲載日:2007/12/29
関係資料を前に高山社や絹産業について語る志村さん
昨年度まで藤岡市文化財保護課に務め、今年1月に高山長五郎の生家「高山社発祥の地」が絹産業遺産群の1つとして世界遺産の暫定リスト入りが決まった際、担当者として携わった。
「養蚕学校の高山社は残っておらず、文化庁に申請するまで期間は短かったが、分教場で木造の蚕室が残る高山長五郎の生家を発祥の地として推薦した」
世界遺産の登録運動が盛り上がりを見せる前から、高山社を中心とした藤岡の絹産業について企画展を実施。藤岡公民館に異動した後も資料収集や高山社に関する講演を行うなど精力的に取り組んでいる。
「高山社は養蚕教育だけなく、道具や桑、蚕種の改良など養蚕の基盤を作った。農業など当時のさまざまな産業との関係も含めて考えていく必要がある」
自身の専門は考古学だが、藤岡の養蚕文化に光を当てて1般に公開していこうと、一昨年から毎年、市内で企画展を開いた。高山長五郎や町田菊次郎の生家などを訪ねて資料を収集して回った。
企画展では、蚕室の設計図や明治期に発明されて中国やインドに輸出された福嶋式桑刻(くわきざみ)機、蚕種紙などの器具のほか、市内の製糸会社の法被といった養蚕や製糸にまつわる資料を展示した。
「世界遺産の暫定リスト入りが決まった後は、市民を対象に高山長五郎の生家や埼玉県の競進社実業学校の見学会や講演会を開いた」
今年9月と11月には、自身が講師となって講演を実施。年代は不明だが、高山社が蚕種改良の組合組織を作っていたと考えられる看板を紹介したり、座繰り製糸場を作って製糸改良にも力を入れていたことなど幅広く養蚕振興にかかわっていたことを指摘した。
「養蚕や藤岡の歴史を考える上で高山社のウエートは高い。明治期には、旧官営富岡製糸場などの器械製糸よりも改良された座繰り製糸の方が生産が多かった」
「高山社に関係する建物や資料は残っているが調べて残そうとしなければなくなってしまう。高山社を中心とした絹産業の功績を後世に伝えていきたい」