二階建て蚕屋 上蔟優先の構造に 今井 秋男さん(81) 太田市鶴生田町 掲載日:2008/03/15
蚕屋の2階で回転蔟を組む
今井さん
50年ほど前の30代初めにトラクターの事故で片脚を切断する大けがをしたが、ハンディを乗り越えて今でも養蚕を続けている。昨年は春、夏、晩秋と年に3回出荷した。
「不作のときでも、次こそはという気持ちを持ち続けてきた」。今年も春蚕に向け準備を進めている。
子供のころから蚕に囲まれた生活をしてきた。「親が養蚕をしていたころは、家のほとんどの部分を蚕が占め、人間は端っこで寝ていた」と振り返る。
初めは別棟の平屋で養蚕をしており、上蔟(ぞく)の時だけ母屋の2階を使っていた。しかし、台風で平屋がつぶされてしまったため、1965年に2階建ての蚕屋を新築した。
「1階は土間なので、湿気が多くて乾燥しにくい。蒸気などで繭が少し黄色くなってしまうこともあり、2階が必要だった。養蚕で最も難しいのは、回転蔟(まぶし)に上げる時期を見極めることだが、2階にスペースがあると上蔟の際にスムーズに移動できる」
1階で育てた蚕を2階に運ぶためにリフトも設置した。89年からは温風機を使うようになり、室温を25度に保つようにした。「ほとんどの家が石油ストーブを使っていったため、燃え移って火事になる家も珍しくなかった」
流行に敏感で、新しい道具などをすぐ買ってしまう。温風機をはじめ、桑畑のための耕運機もいち早く導入した。
「ここまで設備が整っているのはうちだけだった。設備がいいので失敗が少なく、ほとんどの繭を出荷できる」と胸を張る。購入年と値段を記録するなど、道具の管理も怠らない。
鶴生田町では、多いときで50軒が養蚕をしていた。現在、近所で残った養蚕農家は今井さんだけ。市内でも10数軒になってしまった。近所の人からはよく、「まだ養蚕をやってるのかい」と声を掛けられる。
「長く続けられているのは健康だからこそ。幸いにも自分で桑を栽培できる適度な面積の土地があった。それがなければやめてしまったかもしれない」と語るが、養蚕への情熱は衰えない。「よい繭がとれたときが1番気持ちいい」