絹人往来

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蚕種検査 安全な商品を農家に 生方 正輔さん(83) 前橋市六供町 掲載日:2007/05/11


女子蚕業講習用に書き上げた教本を手にする生方さん
女子蚕業講習用に書き上げた教本を手にする生方さん

 東京高等蚕糸学校(現東京農工大)を卒業後、福井県蚕業試験場を経て1944年から県蚕業取締所沼田支所に勤務。その後、前橋支所に移り、主に蚕種検査を担当した。
 「顕微鏡を使って微粒子病を調べるのが仕事だった。卵を産む母体から伝染する病気だったので、病原体がないかどうかをよく見た。異常がなければ『合格』を出し、農家の手に蚕種が販売されていった。常に注意深く見ることが必要な作業だった」
 蚕種検査は毎年6月から9月にかけて忙しい時期を迎える。
 「若い時には1週間の勤務で土、日曜日の休みがなかったほど。1日中、部屋の中で顕微鏡と向き合っている感じだった。子供の運動会にも行けなかった。あの時の検査ぐらい大変だったことはない」
 検査時期には10数人の検査吏員のほか、各吏員に2―3人ずつの検査助手がついた。支部職員とともに大勢の人たちが作業に携わった。
 「検査吏員に資格を与えるため、冬の間に3カ月ほどの講習が開かれた。『蚕体病理学』という授業の講師を務めた時には、自分で女子蚕業講習用の教本を作った。高等蚕糸学校の授業をもとにして寄生虫病や細菌病などについて書いたのを覚えている」
 前橋支所は県央部を中心に管轄地域が広かったため、掃き立て間近に検査が集中する。時には検査を通さずに蚕種が販売されてしまうケースもあり、繁忙期でも迅速な作業が要求された。
 「県の責任で行っている作業だから神経を使った。どこで作られたものかをよく調べ、明らかにすることが大事。検査対象に目を光らせ、不正が行われないように気を付けた」
 25年ほど検査に携わり、病気のない蚕種が農家に届くことを願い続けた。
 「当時の養蚕は農家にとって一番の現金収入となっていた。それだけにきちんとした検査をすることで、安全な蚕種が農家に渡ってほしいと思っていた。仕事に明け暮れたが、農家のために少しでも貢献できたのが良かった」

(前橋支局 千明良孝)