絹人往来

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養蚕実習指導 近代化目指し技伝授 篠原 惣市さん(75) 中之条町横尾 掲載日:2007/06/27


手がけた緑色の天蚕や養蚕日誌を手にする篠原さん
手がけた緑色の天蚕や養蚕日誌を手にする篠原さん

 1951年、中之条高校を卒業した。国家公務員を目指したが、母校に実習助手の欠員があり採用され、養蚕実習指導にかかわるようになった。
 「通信教育を受け、夏休みや休日に県の講習に通い、働きながら教員の資格をとった。実家が農家だったので、養蚕を知らない訳ではなかったが、養蚕指導者の道を歩むことになったのは、本当に偶然だった」
 92年に退職するまで40年間、同校の養蚕指導の中心的存在として活動した。
 「実習は年間で春蚕、夏蚕、晩秋の3回実施した。そのうちの2回を農業科、1回を生活科の生徒が受け持った。卵からかえったばかりの稚蚕から繭の出荷までを教えた」
 農業技術の進歩とともに養蚕の機械化が進み、繭の毛羽(けば)を自動的に取り除く機械の使用方法などを指導、近代化を目指した。
 こうした技術が導入され始めたころには、夜間にえさを与えなくてもいい技術が開発された。
 「実習生は夕方にえさを与えて下校し、翌日の早朝登校すれば間に合うようになった。それでやっと解放されたが、60年代後半までは、当番の生徒と実習室に泊まりこんだ」
 養蚕が始まると蚕が繭をつくるまでほぼ1カ月。その内の半分が夜間の実習を含んでいた。春や秋の養蚕には火気を使って蚕室を保温する作業もあった。泊まり込みの生徒の食事を考えるなど指導教師の苦労は尽きなかった。
 「実習そのものは、さほどつらいものではないが、教師としては、若い生徒の生活指導に神経をつかった。親元から離れている開放感から、はめをはずしてしまうような行動はしないか、注意を払った」
 教員生活の終わりに近づいたころには、養蚕をする農家がほとんどなくなり、生徒の関心も畜産、農業土木などに移っていった。
 「繭に付加価値を付けるため、ふ化した天蚕を分けてもらい、学校にエサになるクヌギの木を植え、飼育を試みた。緑色のきれいな繭をつくってくれたが、養蚕再生には至らなかった」

(中之条支局 湯浅博)