絹人往来

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機織り 人気お召しに神経使う 吉田 弘子さん(69) 桐生市東 掲載日:2006/12/26


「着物を着ると、落ち着きと品が出る」と話し、着物姿の記念写真を手にする吉田さん
「着物を着ると、落ち着きと品が出る」と話し、着物姿の記念写真を手にする吉田さん

 16歳から機織りとして働いた。1963年に生まれ育った家を離れ、桐生市東の機屋に住み込みで勤務。当時の桐生は織物産業が盛んで、特に「お召し」が人気を呼んでいた。勤めた機屋の主力商品も「お召し」だった。
 「横糸の左右の撚(よ)りを間違うと傷物になってしまうから、お召しを織るときは本当に神経を使った。横糸を交換するのは機織りの仕事だから、失敗すると呼び出されて注意された」
 お召しは左撚りと右撚りの横糸を交互に通して織る。同じ方向に撚った糸だけを使うと、均等に縮まずでこぼこになってしまう。こうなると「片シボ」といって、売り物にならないという。
 「当時は織物が売れていたから、とにかく1日働き通し。朝5時から織機を動かし始めて、夜7時まで仕事が続いた。嫁ぎ先が機拵えをしてたから、家に帰ってもその仕事を手伝ったり。休みなんて、月2回くらいしかなかった」
 機織りの途中、柄を変えるためにはしごを上って紋紙を交換する。女性の機織りにとって、高い場所まで上り降りするのは大変な作業だったという。
 「妊娠していた時は、大きいおなかを抱えて上り降りするのがきつかった。機織りの仕事はシャトルを操ったり、織機を動かしたりするだけじゃない」
 機織りの仕事は25年間続けた。いくつかの機屋に勤め、お召し以外にもネクタイ地などの洋反も織った。
 「当時、お召しは高級でとても手が出なかった。でも、織り上がった華やかな柄を見ると、いつか着てみたいと思った。成人式に初めてお召しのかすりを着た時は、大人っぽくみえてうれしかった」
 思い出のお召しは2、3年前に人に譲り、手元にある着物も少なくなった。だが、今でも着物を着ることに特別の思いがある。
 「機織りの時は忙しくて、商品の良さを考えるひまなんてなかった。けど、やっぱり着物が好き。しっとり落ち着いて見えるし、歩き方も品が出る。先月着たとき、これが最後の着物姿かなと思って、思わず記念写真を撮った」

(桐生支局 高野早紀)