絹人往来

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職場結婚 夫婦で「上州生糸」守る 山崎一利さん(68)・久子さん(62) 中之条町伊勢町 掲載日:2008/09/05


工場にあった糸の太さを測る「検尺機」を手にする一利さん(左)と久子さん
工場にあった糸の太さを測る「検尺機」を手にする一利さん(左)と久子さん

 2人は製糸工場で知り合い、結婚した。仲人とも言える「生糸」に対して、「手塩にかけて作り上げた独特の肌ざわりと光沢の素晴らしさは、忘れる事ができない」と、今も共通の思いを持ち続けている。
 一利さんは、両親が勤めていた製糸工場の社宅で生まれ、育った。
 「中学3年生の春、父親が突然、病死。6人きょうだいの長男だったので、工場に頼んで入れてもらった。製糸工場の主役は糸取りの女性で、男性の採用はほとんどなく、ありがたかった」
 配属先は「再操部」と呼ばれる生糸の仕上げ部署。糸取りの女性たちが小枠と呼ばれる小型の糸巻きに巻き付けた糸は、そのままにしておくと互いにくっついてしまうので、乾燥させながら大枠という六角形の枠に巻き直す作業だ。
 「湿度の高い梅雨時になると特に固まりやすい。ボイラーから送られてくる蒸気を当てて、巻き直しながら乾燥させていくという微妙な作業だったので、いつまでたっても難しく、“一人前”になれたのかは今も分からない」
 乾燥すると切れやすくなってしまうが、生糸は重さで取引されるため、許容範囲として「湿度1・11%」とする出荷基準もあり、クリアするための湿度管理に神経をつかった。
 「最後の工程では、光沢を見て不良品を取り除く検品作業が待っていた。北側の窓から採光する暗い部屋で朝八時から夕方5時まで、糸の光沢を見続ける。見落とすと、染物屋さんなどからクレームがくる。随分失敗もしたが、ブランドの信用にかかわる仕事だけにやりがいがあった」
 1969年に同じ工場で糸取りをしていた久子さんと結婚した。
 久子さんは「入社して工場長から指導を受けたが、糸取りがうまくいかず、逃げ出して竹やぶに逃げ込んだり、朝四時起きで作業にかかったり。夏は繭を煮るため、40度を超す暑さの中で作業した」と、当時の苦労を振り返る。
 二人は工場が閉鎖されるまで「上州生糸」のブランドを守り抜いた“戦友”。「一生懸命やり抜いてよかった」とうなずきあう。

(中之条支局 湯浅博)