絹人往来

絹人往来

次代 学ぶほどに誇らしく 茂木 望君(13) 富岡市富岡 掲載日:2007/3/13


富岡製糸場の研究を進める茂木君
富岡製糸場の研究を進める茂木君

 旧官営富岡製糸場のおひざ元、富岡東中学校(金田浩光校長)の1年生。昨年、同学年は「絹の道から富岡を考えよう」をテーマに総合学習で取り組んできた。養蚕業・製糸業が地域に果たした役割を学び、地元富岡を見つめ直すのが目的だ。
 「小学校のころ、製糸場には何度か行ったことはあった。古くて立派な建物というだけで、価値は分からなかった」
 総合学習では1学期から、県生涯学習センターの協力で「絹の道講演会」を実施したほか、富岡製糸場世界遺産伝道師による座繰り体験も行われた。生徒たちは、絹や同製糸場に関し、興味を持った課題をそれぞれ研究している。
 「勉強していくうちに、富岡の絹がどうやって世界に向かい、輸出されたのか興味を持った。輸送手段とその発達の過程をテーマにした」
 「富岡―横浜―欧州」と題し、明治初期の利根川を利用した輸送ルートと明治20年代以降の鉄道(高崎―横浜)による物流を細かく調べた。
 「貨物列車の荷物は、ほとんど生糸で、『生糸鉄道』と呼ばれた。運ばれる絹が、当時の人々の生活を豊かにし、笑顔にさせたと想像できた。絹産業が日本の最も重要な産業であり、富岡製糸場が中心的存在だったことが誇らしく思えた」
 自宅は、同製糸場まで歩いて5分ほどの距離。
 「富岡製糸場の暫定リスト入りのニュースもあり、たくさんの人たちが、富岡市にやってくる。そうした人たちに対し、堂々と製糸場を語れるように勉強したい」
 研究を進めるうちに、郷土への関心がより高まったという。昨年の夏休みには、同市の魅力や歴史を記した「とみおか かるた」を創作。かるたは、44枚すべてが写真入りの力作。“せ”の読みには、「世界遺産登録目指す富岡製糸場」と文章を添えた。
 「大人になるころには、世界遺産になっていてほしい。将来の夢は、教師になること。世界遺産になった故郷富岡の歴史や養蚕文化を、子供たちに伝えていきたい」

(富岡支局 三神和晃)