絹人往来

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紋章上絵師 職人技とパソコン駆使 大竹 允さん(66) 高崎市上小鳥町 掲載日:2007/1/25


職人技とパソコンを駆使して仕事を続ける大竹さん
職人技とパソコンを駆使して仕事を続ける大竹さん

 お宮参りや七五三、結婚式などで着用する着物に家紋を描く「紋章上絵師」。着物文化の衰退で仕事が減り、県内の同業者も少なくなった。キャリア37年のベテランは、技術革新の波を乗り越え、今も現役で活躍する。
 「せっかくやってきたのに辞めるのはもったいない。何とか食べていけるし、ある意味、趣味で続けている面もある。お客さんに喜ばれるいい仕事をしていきたい」
 大手製紙会社を辞め25歳で帰郷した。家業の大竹屋染張店は洗い張り、染め物、染み抜きとさまざまな仕事を受ける「万悉皆(よろずしっかい)」の店。家業に入るのに際し、外注に出していた紋章の仕事を自前で始めることにした。
 「このまま継いだのではだめと思ったが、何をすればいいかは分からなかった。当時、紋の仕事は景気がよく、資本がいらないことにも魅力を感じた。難しい絵柄が描けるか心配だったが、何とかなるだろうと挑戦した」
 型紙に筆や分廻(ぶんまわ)し、定規で柄を描き、小刀で彫り込んで紋型を作製。この紋型を使って特殊な染料を反物に刷り込むのが仕事の主な流れ。紋の直径は男物で一寸、女物は五分五厘と小さく、微細な作業力が求められる。東京の高名な職人の元に弟子入りして腕を磨いた。
 「周りの内弟子はみんな中学や高校を出たばかり。紙に描く練習を3年しないと上手にならないと言われたが、年も年だったので3年で修業を終わらせてもらった」
 修業先から戻った1968年から15年、忙しい日々が続いた。1日3時間しか寝ることができず、座りっぱなしで足が霜焼けのようになることもしばしばあった。
 仕事量に陰りが見え始めた15年ほど前からスクリーン印刷の技術を、5年前にはコンピューターの導入に踏み切った。60を過ぎて市内のパソコン教室に通い、キーボード操作を一から学んだ。
 「この道一筋できた職人の中には昔のやり方にこだわる人もいるが、世の中の流れを読まないと生き残れない。紋をやっている人は不思議と長生きが多い。元気なうちは続けていきたい」

(高崎支社 多田素生)