絹人往来

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海外で指導 熱い思いで技術伝授 深沢 長平さん(78) 太田市寺井町 掲載日:2007/11/03


インドネシア人研修生の写真を見ながら思いを語る深沢さん
インドネシア人研修生の写真を
見ながら思いを語る深沢さん

 太田市寺井町有数の養蚕農家で、収繭量(しゅうけんりょう)が1トンを超える時もあった深沢さん。インドネシア森林公団に要請され、1973年から2年間、同国に赴き、農家に養蚕技術を指導した。
 「インドネシアから県に養蚕農家を派遣してほしいという依頼があった。当時の日本は養蚕が衰退し始めた時期だったが、うちはまだ盛んにやっていた。それで声が掛かったと思う。見知らぬ土地にも興味があり、喜んで引き受けた」
 現地は1年を通じて日本の夏のように暑く、養蚕に適した気候。養蚕はほとんど行われておらず、米やタピオカなど食物栽培が中心だった。貧しい農家が多かった。
 「養蚕は収入を上げる手段になる。世界で最先端だった日本の養蚕技術を伝え、インドネシアの農家の生活を豊かにしたいと考え、意欲が高まった」
 熱い思いを胸に指導した。特に桑の栽培には力を入れた。桑の質が日本産と比べて劣ることに気が付くと、日本から持ち込んだ。日本の桑が風土に合わないことが分かると、タイやインドからも取り寄せた。
 桑の与え方の指導にも力を入れ、養蚕技術を広めた。
 一方、75年から4年間、同国研修生計6人を自宅に受け入れ、妻の清子さんと飼育場で養蚕を指導した。
 「インドネシアは四季がない。日本には冬があり、寒くなると養蚕を出来ないことを教えた。その上で、1日のノルマを決めて手伝ってもらった」
 当初は、ゆったりと仕事をしていた研修生も、次第に知識をつけ、てきぱきと働くようになった。
 「指導した彼らとの絆(きずな)はかけがえのないものになっている。今でも手紙や電話をくれて、『お父さん、お母さん元気ですか。日本の冬は寒くて体によくないから、こっちに来るといい』なんて気遣ってくれる。うれしいね」
 今でも数年に1度は研修生や指導した人たちにインドネシアに会いに行き、温かい歓迎を受けている。
 養蚕指導を通じて築いた人間関係は、人生の宝物だと感じている。

(太田支社 松下恭己)