新品種 組合員の収入増に力 富沢 孝次さん(76) 榛東村広馬場 掲載日:2006/06/27
「蚕の成長を見るのが楽しみ」と話す富沢さん
作業台に並べられた桑の葉を食べる蚕を一匹ずつ引きはがし、新しい葉を与える―。自宅の蚕室で富沢孝次さん(76)は慣れた手つきで黙々と作業をこなす。
祖父、父が養蚕を手掛け、物心がついたころから蚕と一緒の生活に親しんできた。現在は村内で数少ない養蚕農家だが、生糸の生産は最盛期の5分の1程度。
「昔から使っている道具があるから続けている。『まだ(養蚕を)やってるんかい』とよく言われる。桑畑の掃除をしているようなもんだよ」
榛東村にはかつて数百軒の養蚕農家があり、忙しい時期には近隣の町村から女性を雇うことも珍しくなかった。「蚕の手伝いに来て、そのままこっちに嫁いだ人もいた」という。
蚕室には「広馬場稚蚕共同飼育組合」の看板がしまってある。1980年代には150人以上が加入した同組合は蚕の幼虫を大量飼育するための施設を持っていた。
1994年、同組合は県のオリジナル品種「ぐんま200」をいち早く取り入れた。組合員の間には新しい品種に対する不安の声もあったが、当時役員を務めていた富沢さんは自分の目で確認して自信を深め、切り替えに積極的だった。
渋川市内の料亭で役員会議を開き、新品種の導入を決定。蚕は順調に育ち、組合員にも好評だった。「組合員の収入を少しでも増やそうと一生懸命だった」と振り返る。
2000年、富沢さんは飼育する蚕を普通よりも繭糸が太い「蚕太(さんた)」という品種に切り替えた。蚕太は糸が少量しか取れないが単価は高い。これを村の特産にしようと各方面に働き掛けた。
しかし、飼育の手間などから蚕太は敬遠され、現在は3軒の農家が飼育するだけにとどまった。「中国産生糸が入ってきて、みんな養蚕をやめてしまった」。6年前とは状況が異なり、時代の移り変わりを痛感させられる出来事だった。
桑を食べるたびに一回りずつ大きくなる蚕を見るのが何よりの楽しみだという。
「嫌いなら続けていない。ちょうど良い運動にもなるし、動けるうちは少しでも長く続けたい」