手紙 子供の喜び、驚き宝物 須田 長平さん(76) 前橋市西善町 掲載日:2007/1/11
「蚕を良く観察している」。子供たちからの手紙に目を通しながら話す須田さん
毎年増えていく子供たちからの手紙に目を細める。蚕を飼育したことで実感する喜びや驚き、大発見。素直な気持ちがつづられているその手紙は宝物だ。
「子供たちは好奇心旺盛。小さいことにもよく気が付くし、あの観察眼はすごい」
1991年3月、39年間勤務した県蚕業試験場を定年退職。念願だった野菜作りに精を出すつもりだった。だが、養蚕との関係は太い きずな絆で結ばれていた。
94年に上川渕地区自治会連合会が設置した郷土民俗資料館(前橋市上佐鳥町)の運営管理に携わった。97年、館長に就任。訪問者や児童にかつての暮らしを紹介している。2000年には上川渕小学校の校長から、児童に養蚕を教えてほしいとの依頼があった。
「蚕業試験場から蚕を譲ってもらい、3、4年生に飼い方を教える。週末にはそれぞれが家に持ち帰り、家族で飼育を楽しんでもらう」
体験学習の時間に養蚕を教えるようになって6年が過ぎた。最初は苦労もあった。
「ある日、知り合いから『孫が持って帰って来た蚕が水をはいて死んでしまった』との連絡があった。子供はすごく残念がっていたというし、気の毒なことをしたなと思った」
農薬の染み込んだ桑を食べさせたことが原因。翌年からはえさの桑には細心の注意を払った。今では、脱皮の瞬間に居合わせた子供たちの笑顔が励みになっている。
実家は養蚕農家だった。飼育小屋の温度を保つため、密室で炭を焼く。その部屋で寝てしまいガス中毒になったり、蚕の飼育に失敗して肩を落とす母の姿を見て、「この苦労から解放してあげたい」と思った。
養蚕技術向上を目指してひたすら働いた。「サラリーマン根性を起こすな。養蚕農家のために仕事をしろ」。上司からも檄(げき)が飛んだ。その結果、全国有数の養蚕県へと成長した。
衣食住よりも優先した「お蚕様」との生活。そこから得られた助け合いの精神。そして、長い間培われてきた伝統。一線を退いた今、子供たちにそんな養蚕の存在を知ってもらいたいと思っている。