背負い台 蚕かご10枚積み川へ 石原 茂雄さん(85) みどり市大間々町桐原 掲載日:2008/05/02
背負い台に竹製の蚕かごをくくりつけ、「こんな格好で河原に行った」と話す
石原さん
「蚕が始まる前になると、蚕かごをこの背負い台に乗せて渡良瀬川に洗いに行った。今より100メートルばかり下流にあった新栄橋まで背負ってね。木のつり橋だったころだ」
庭先に背負い台を持ち出し、竹製の蚕かごをくくりつけて使い方を見せてくれた。
「稚蚕を飼う蚕かご洗いが始まると、さあ蚕の季節だ、という気持ちになった」と当時を振り返る。
1回で背負うのは10枚が限度。100枚ほどある蚕かごやわら縄などの蚕具を積んで、河原まで何回も往復した。
飼料のくずが床や蚕具にこびり付いているので、蚕室・蚕具の乾燥と消毒は欠かせない作業。
「半年間ほったらかしなのでほこりがどうしようもないほど付いた。蚕具洗いは流水が最適なので、河原に運び、蚕かごを水につけながらたかぼうきでごしごし擦った。河川敷に並べておけば天然の干し場になった」
飼育場所に病気の菌を持ちこまないことに気を付けていたが、後から振り返ると盲点はあった。
「●(こうじ)菌だよ。どこの農家も自家製のみそやしょうゆを作っていた。うちも別棟で造っていたが、衣服に付いたり風で飛んで●菌が蚕室に運ばれてしまった。お蚕さまをだいぶ死なせてしまったね」
「ほとんどの農家は長年の勘で飼っていた。だから外れも多かった。病気の菌が残って伝染することが分からず、消毒もいまひとつ徹底しなかった」
1965年ごろまで、何度かあった不振をこう分析する。
養蚕は明治中期の祖父の代から始めた。最初は片手間だったが、徐々に増え、父親の時には蚕が中心になった。春蚕を主体に、夏、秋と年3回行った。最盛期は種で7枚、仕上がった繭で400キロを目標としていたという。
「子供のころはお蚕さまの季節はいやなもんだった。学校から帰ると、父親が待っててね。蚕のふんと食い残しを取るため、かごの両端を持ち上げて次のかごに移すのが大変だった。忙しかったことだけを覚えている。労力と神経を使い、蚕の季節が終わると何キロもやせたよ」