絹人往来

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デザイン 伊勢崎絣の図柄に情熱 榎原 一郎さん(61) 伊勢崎市馬見塚町 掲載日:2007/2/27


自らデザインした伊勢崎絣を手にする榎原さん
自らデザインした伊勢崎絣を手にする榎原さん

 「ぜんぜん色あせていないね。古さは感じられないし、今でも通用するかな」
 自らが15年以上前に図柄のデザインを手掛けた伊勢崎絣(がすり)。自宅の蔵に大切にしまっておいた思い出の品との久々の“対面”に顔をほころばせる。
 伊勢崎工業高校紡織科を卒業後、父親が始めた個人会社「榎原織物」を継いた。18歳から45歳までの27年間、伊勢崎絣の着物の生産と販売に携わった。
 「現代の衣服のように着物の図柄のデザインにも流行があった。いい商品ができた時は見てドキドキした。図案用紙とにらめっこする毎日。尻にタコができるまでやった。いいものを作りたいという使命感に燃えていた」
 花柄模様や幾何学模様など織り方の風合いを含め図案用紙に鉛筆でデザインを詳細に描いた後、きれいに彩色。「織り子さんに頼んで完成させた商品は、京都や大阪、名古屋の問屋に販売した」。
 自社商品のブランド名は「かれん」。「可憐(かれん)な着物を提供し、女性たちのかわいらしさを表現するお手伝いができれば」と名付けた。商品は高く評価され、京都織物卸商業組合主催の全国優秀織物競技大会で府知事賞を受賞したこともあった。
 絣の技法上の制約がある中、ツバキやウメ、チョウなどの図柄とさまざな色の生地を組み合わせた百柄の中から、十柄を選択。京都のモデルさんに着てもらい、写真を撮ってオリジナルのパンフレットを作って各問屋さんに配布した。
 「多い時には80人の織り子さんに発注、着物と羽織を一対として月に600対販売した。いい商品を世に送り出した時の反響は大きく、新潟県の呉服業者が夜明けとともに午前5時ごろ自宅を訪れ、問屋を通してでは品物が回ってこない。ぜひ分けてほしいと頼まれたこともあった」
 「いい物ができた時は何の欲も持たない『無』の境地になれた時。そうなると集中できた」と振り返る。正月の初詣でや街中を歩く女性が「かれん」を着た姿を見た時の感動は今も忘れられない。
 「作った人間であれば、すぐに分かるのです。思わず近づいて『ありがとう』と感謝の言葉を掛けたくなりました」

(伊勢崎支局 宮崎秀貴)