絹人往来

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日野絹 形変え伝える地域の技 飯塚 君江さん(60) 藤岡市上日野 掲載日:2007/1/12


日野絹をロングコートなどに仕立て直した飯塚さん
日野絹をロングコートなどに仕立て直した飯塚さん

 光沢を放つ絹織物の所々にある節や染めムラが、手織りのぬくもりを伝える。藤岡地域で生産された数点の「日野絹」が手元に残されている。
 「実家(藤岡市西平井)と嫁ぎ先の二人の祖母が織った絹織物が大切にしまってあった。息子の嫁に贈った婚礼衣装や、自分が着た白無垢(むく)など。どれだけの気持ちを込めて織ったものかを想像すると捨てることもできない。だからと言って、しまっておくだけでは忘れられてしまう。服のリフォームを手掛ける自分の手に託されたのは運命と思い、洋服に仕立て直すことを決めた」
 日野絹は江戸時代に藤岡の市で扱われ、江戸や京都で「上州絹」としてもてはやされた。農家が養蚕、製糸、機織りまで一貫して行った点が特徴だが、昭和以降は個々の作業が分科され、ほそぼそと個人単位で生産された。
 「絹にアイロンをかけると独特のにおいがふわっと漂う。私の祖母は軒先で日なたぼっこをしながら繭を煮て糸をとっていたが、その時にかいだにおいと同じにおいがする。糸取り、染織を一人で行い、祖母の機織り作業はそれは見事なものだった」
 養蚕学校「高山社」の養蚕教師だった祖父が東北地方などで技術指導を行っていた際、足利の機屋で働いていた祖母と出会い、結婚した。
 「家族の着物を織るにも、上質の繭だけを選んでいたと母から聞いた。売り物ではないのだからくず繭でも良かったのに、職人としてのこだわりがあったのだろう。糸が絡まった時も祖母ははさみなど使わず、器用に手でほどいてしまった」
 実家での養蚕と合わせ、祖母は手織りの絹を売る「賃織(ちんばた)」による現金収入で家計を支えた。
 「祖母は縦じま模様がお気に入り。着物で見た時は地味だと思ったが、洋服に仕立て直すと違った味が出る。軽くて肌触りが良く、何年着ても生地が傷まない。染めや織りの特徴をあげるのは難しいが、丁寧に作られていることは確か。何十年も洋裁をしてきて、こんな素晴らしい生地は出合ったことがない」
 昨秋、工芸体験施設「土と火の里公園」=同市上日野=で開いた日野絹の創作服展には市内外から多くの人が訪れた。日野の女性の“技”は、形を変えて今に伝わっている。

(藤岡支局 前原久美代)