絹人往来

絹人往来

着付け指導 浴衣人気に“未来”実感 高橋瑞恵さん(61) 高崎市あら町 掲載日:2008/09/10


「絹の着物が着られる日本人はぜいたく」と話す
「絹の着物が着られる日本人はぜいたく」と話す

 「風合いが良く体になじむ。何十年着ても傷まない。こんないいものがあるのに、もっと評価されていい」。昔と比べて着物を着る人が少なくなり、着付け教室で教えたり、絹の着物を愛用している立場から、もどかしさを感じる。
 「着物は絹でなければいけない」と思っているわけではない。「絹の着物が着られる日本人はぜいたく」と絹の良さを絶賛する一方、ポリエステル100%の着物も、「安くて手軽さがあっていい」と評価する。
 練習用の着物を持ってくるよう教室の生徒に伝えると、びっくりするような良い着物を持ってくる生徒がいるという。
 「丸帯を持ってきた生徒がいて、『こんないいものをもったいない』と驚いた。今は親の着物が“たんすの肥やし”になっている家庭がいっぱいある。この仕事をしていなければ、私もそうだったと思う」
 高崎駅西口近くの高崎和服専門学校のカルチャー教室で、着付けを教える。義父が大正時代に開設し、80年以上の歴史を持つ和裁の専門学校で、夫は校長、長男は事務を務めている。
 長女が幼稚園に入って子育てが一段落したころ、前橋市内の全国きもの文化教育協会の県本部に週に1回、4年ほど通って着付けを勉強した。「義母が着付けを教えていたため、後を継ぐものと思っていたから」。義母と交代して同専門学校で教え始めて以来20年以上、月に4回、生徒を指導し続けている。
 旧群馬町出身。高崎女子高校、実践女子大家政学部被服学科を卒業後、明和女子短大で助手を務めた。1976年に同専門学校で和裁を教えていた夫と結婚した。
 結婚前に半年間、同専門学校の生徒として和裁を習った。「和裁も中学や高校で教えるくらいの力はあったけど、結婚するなら(夫の)学校の流儀を習った方がいいと言われて。縫う順序とか、ちょっとしたことが違ってね」と当時を振り返る。
 最近、お祭りなどで浴衣を着る若者が目に留まる。「母親が着物を着られないので、着物を見る機会があまりなく、新鮮に感じているのだろう。着物文化の行方も暗くないのでは」

(高崎支社 今泉勇人)