絹人往来

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共同飼育場 土台築いた祖父の力 家富 忠男さん(91) 館林市下早川田町 掲載日:2007/05/03


養蚕にも使った自宅前に立つ家富さん
養蚕にも使った自宅前に立つ家富さん

 1950年代、生糸の生産を安定させるため、近所の養蚕農家から託された蚕種を育てる共同飼育場が県内各地に誕生した。館林の共同飼育場の管理責任者となり、15年間務めた。
 「うちは市内で唯一の共同飼育場だった。蚕はデリケートな生きもの。1回でも気を抜いて育てるのに失敗したら取り返しがつかない。気が休まる時はなかった」
 祖父の忠三郎さんの代から、養蚕にかかわるようになった。住宅を蚕室用に建てかえるなど、積極的に養蚕に取り組んだという。さらに、忠三郎さんは館林発展の基礎を築いた織物会社「上毛モスリン」の創設にも尽力した。
 明治時代、人気を集めた薄手で柔軟な毛織物「モスリン」。いち早く生産した上毛モスリンは、国内事業者の草分け的存在だった。
 上毛モスリンは1926年に破産したが、引き継いだ神戸生糸が工場を立て直し、館林の製糸業をリードした。
 「忠三郎さんはとても先見の明がある人だった。うちで取れた繭はすべて神戸生糸に出荷したが、上毛モスリンの工場を使った神戸生糸には人一倍親近感を持っていたよ」
 最盛期には、飼育場だけではスペースが足りず、母屋の二階にも蚕を並べるほどだったが、養蚕衰退とともに、共同飼育に参加する農家も減少した。やがて共同飼育場は役割を終えた。自宅敷地内にあった共同飼育場は八八年に解体され、当時使った道具のほとんどは処分した。
 家で養蚕の歴史を伝えるのは、築百年の母屋だけになっていたが、3年前に蔵から操業直前の上毛モスリンの写真が見つかった。
 「歴史を語り継いでもらうため、写真は市に寄贈した。祖父が土台を築いた館林の養蚕。館林を支えた貴重な産業の歴史を忘れずにいたい」

(館林支局 市来丈)