絹人往来

絹人往来

手描き本友禅 前橋ブランドで本物を 有馬 国雄さん(55)  前橋市東金丸町 掲載日:2008/11/29


何色もの染料を使い、生地に色を差す有馬さん
何色もの染料を使い、生地に色を差す有馬さん

 前橋市東金丸町に構えた工房で、手描き本友禅の制作に取り組む。のりで糸のように細い線(糸目)を引いて柄を描くため、柄の縁取りが白いのが特徴。図案を考えて糸目を引き、染料で色を差すところまですべて一人で作業する。  「手描きは本友禅全体の0・3%くらい。昔はほとんど手描きだったが、明治になり京都で量産のために型が導入され、今はほとんどがプリント。手描きの魅力は柄にボリュームがあって深みがあること。プリントには出せない味がある」  高山村出身。幼いころから絹は身近だった。「実家は養蚕をやっていた。村中みんな桑畑。子供のころはずっと手伝わされていた」。しかし、「着物の道へ進んだのは全くの偶然」だという。  大学卒業後、名古屋の染織デザイン会社に就職した。大学で日本画を学び、「同じ描く仕事」というのが理由。着物のデザインを手掛けた。  3年ほど働いたころ、「デザインだけでなく、自分で全部やってみたい」と思い退社。本友禅の勉強を始めた。  「京都、名古屋、長野、東京と各地の職人を訪ねた。でも教えてもらえない。隣で仕事を見ていて、いろんな人から技術を盗みながら身に付けた」  「3年間は全く食えなかった。のれんやドレス、人形の着物のデザインなど来る仕事は全部やった」。苦労しながら着物を3枚制作。「日本橋の呉服問屋に持って行ったら、専属の職人として東京に呼んでもらった」  問屋で約20年間、職人として経験を積んだが、倒産。これを期に群馬に戻った。月に2枚のペースで、受注された着物や展示会用の作品を制作する傍ら、工房で12人の生徒を指導する。  「本物を知ってほしい。手描き友禅がどういうものか分かってもらうには、やるのが1番早い」  前橋に来て15年。これまで「江戸手描き本友禅」だったが、今年から「前橋手描き本友禅」と名乗ることにした。  「群馬に来なければ生き残れなかった。15年たって、そろそろ『江戸』でもないだろうと」  前橋の片隅で守られる手描き本友禅の技術が、群馬に新たな絹の文化を生み出している。

(前橋支局 石原千愛)