絹人往来

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蚕種催青器 適温に保ちふ化促進 金子 仁一郎さん(81) みどり市東町座間 掲載日:2007/4/25


蚕種催青器を前に父の時代の養蚕を語る金子さん
蚕種催青器を前に父の時代の養蚕を語る金子さん

 「子供のころ、お蚕が始まると父親がこれを持ち出してきた。当時は随分とこれを活用したんだ」
 物置の奥から出したブリキ製の箱には「実用経便蚕種催青器」と書かれている。蚕の卵をふ化させる道具で、タテ51・5センチ、ヨコ35・5センチ、高さ45センチ。木の取っ手を持って開けると、外周3センチ幅で2重になっており、四隅に1・5センチの穴、周囲は2ミリの穴が24個空いている。
 この装置内を23―25度の適温に保ち、掃き立て予定日に正常にふ化させた。「3センチのすき間に水を入れ家の中でいろりの側に置いておくと、湯たんぽのように温まった」という。
 「屋根裏のクズ(カヤ)にいるひる(ガ)を採って、等間隔で横に10段ほど敷いた台紙上に置いておくと、そこに卵を産み付ける。台紙にまんべんなく散らばらせるため、台紙に油を引き朝晩ごとに順番を変えた。このため、一晩中いろりの火は消さなかった」
 春、夏、秋、晩秋の4回掃きたてた。1番の苦労は桑の葉採りだった。
 「平野部と違って山間部では桑はなかなか育たない。このため、大木にして、葉だけを採った。桑の木はとても貴重だった。腰にかごをくくりつけて、傷つけないようにハシゴを使わずに登る。『桑の木から落ちても木を折るな』と親から厳しく言われたもんだ」
 腰のかごが満杯になると、地面の大きなかごに移し、これが3、4個になるとリヤカーに乗せて自宅に戻る。蚕の食欲を満たすには、この作業が1日3回必要だった。
 「雨が降るといやだったね。ぬれながらの桑採りほどつらいものはなかったよ。かごに桑の葉を押し詰めるので、葉が熱を持ち熱くなり、水をかけることもあった」
 「蚕は“おこさま”。粗末にできない。5月から9月末までは畳を外し、家族は6畳間に小さくなって生活したものさ。だから床は黒光りしていた。できた繭はリヤカーを引いて水沼(桐生市黒保根町水沼)まで運んだ。今では考えられないだろう」

(わたらせ支局 本田定利)