催青 氷で温度と湿度保つ 笠原 栄一さん(69) 館林市城町 掲載日:2006/07/26
「催青には一定の温度と湿度が必要だった」と話す笠原さん
蚕の卵を人工的にふ化させることを催青(さいせい)と呼ぶ。1959年に神戸生絲(きいと)館林工場に就職し、催青の仕事を担当した。県蚕業試験場の講習所で学んだ知識と技術助手を務めていた経験を買われた。
「卵は、神戸生絲の蚕糸製造所があった滋賀から持ってきた。ふ化させるのは農家が掃き立てを行う日の直前。早くふ化しちゃった蚕は掃き立てが遅れて弱るので、2夜包み、3夜包みなんて呼んで嫌がられた」
桑の成長に合わせるため、掃き立ての日は地域によって異なった。春蚕の催青は5月10日ごろから月末まで続いた。工場には15―20畳ほどの催青所がいくつもあり、そこに卵を均等に並べた催青箱を置いた。卵は1週間―10日でふ化した。
「周りが明るいとすぐふ化しちゃうので、作業はいつも暗い中。温度は27、28度に保った。クーラーが無いから夏の暑いときは氷を買ってきて置いた。湿度も必要なので氷が一番良かった」
催青箱は種箱とも呼ばれ、1箱に通常10グラム、20,000粒の卵が入れられた。催青所で少しずつ成長した卵は、ふ化が近付くと青みがかった色になる。
「掃き立ての前日に青みの状態にそろえる。成長が遅れて、種屋同士で交換することもあった。掃き立ての日は朝6時ごろから作業を行うため、地域の共同飼育所に農家が集まった。朝4時ごろに催青所を点灯すると、それまで真っ暗にしてふ化を抑えてきた卵が5時ごろから発生し始める。飼育所に運んでいる間もどんどん発生した」
催青が済むと、養蚕農家の指導に駆け回った。担当したのは埼玉県内の農家300戸。館林の自宅から自転車で向かった。
「1日に50―60戸、多い日は80戸回った。夏の暑い日は特に大変だった。農家は朝が早いので、昼寝中のこともよくあった。そんなときは蚕の成長や桑の育て方など、気になるところをメモで残してきた」
ふ化したばかりの蚕は、その見た目から蟻蚕(ぎさん)と呼ばれる。それが蚕として成長し、やがて真っ白の繭を作る。
「あの人が来てくれていい繭が取れた、と言われるのがうれしかった。体はきつかったが、達成感があった」