絹人往来

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継続 質向上へ勉強の日々 戸崎 昭一さん(71) 太田市新田小金井町 掲載日:2007/09/01


妻、ユリ子さんと養蚕を続ける戸崎さん
妻、ユリ子さんと養蚕を続ける戸崎さん

 養蚕農家として把握しているだけでも4代目。ピーク時には蚕を20万匹飼育していた。現在は4万匹に減少しているが現役だ。
 「蚕が少なくてもやることは一緒。生きものだから、毎日休まず様子を見なきゃいけないし、大変さは変わらない」
 自宅は養蚕農家のたたずまい。玄関を入ると、壁が無くふすまで仕切られた居間が広がる。養蚕の時にはそこが蚕室となった。
 「お蚕様とはよく言ったものだ。人は隅っこで寝て蚕を育てていた。40年ほど前に、自宅の隣に作業場を造ったから、蚕と一緒に寝ることもなく楽になったけれど」
 兄が22歳で戦死した。6人きょうだいの下から2番目だが、2男。中学校卒業とともに、養蚕を手伝った。1978年、81歳で父が亡くなり正式に継いだ。
 「農家は誰かが後を継がなければならない。兄が戦死しており、自然の流れで自分が継ぐことになった。毎年、毎年が勉強だった」
 「これで良いという時は1度もない。蚕だけに、毎年が『けいこ』と昔の人は言っていたけど、本当にそうだった。今は昔よりも、もっと質の良い繭玉が求められている。良い物を作らなければという意識はずっと変わらない」
 年5回行っていた養蚕は現在、3回。10年ほど前からは3眠の蚕を仕入れて飼育しているため、蚕が家にいるのは20日間。以前と比べると体は楽になったが、それでも春、夏、晩秋と行い、その間に小麦や稲作と続く。
 「農閑期は8月のわずか1カ月。今年の夏はすごく暑かったから、ちょうど良かった」
 かつて一帯が養蚕農家だった旧新田町。現在、養蚕を営むのはわずか4軒となった。自身も今後何年間できるか分からないという。だが、出荷時期には、45年間連れ添う妻、ユリ子さん(69)のきょうだいが手伝いで集まってくれる。それが楽しみにもなっている。
 「体が元気なうちは、養蚕を続けていきたいよね」

(太田支社 臂真里緒)