絹宿 300年の歴史に誇り 松村 行一さん(72) 藤岡市藤岡 掲載日:2006/05/30
家が「絹宿」だったことを示す古文書を披露する松村さん
藤岡市の中心商店街。各地の商店街と同様に空き店舗もあり、人通りもそれほど多くない。「江戸時代、ここに絹市が立ち、県内で最も盛んに商売が行われていたんですよ」。旅館と蔵を活用したうなぎ店を経営する松村行一さん(72)は街の歴史をひもとく。
「松村家は、この地で早くから生絹(きぎぬ)の売買を手掛け、およそ300年前に絹宿を始めた。藤岡の絹宿では先駆者だったそうです」
絹宿は、絹の売り人と買い人の間に立って商談を取り持つ仲介業。主に農家の売り人が絹宿に入り、品物に名札を付け、長さや重さ、品質を調べて絹市に送る。市では絹宿も立ち会い、両者の調整も行い、スムーズに商談が成立するようにしたという。
絹市が盛んになり、各地の商人が大勢出入りするようになると、松村家は絹宿から旅籠(はたご)に転身し、現在まで続いている。
慶応二(1866)年ごろ、旅館が「百姓一揆による打ち壊し」を受け、その時に文書などはなくなったという。それでも唯一、宝暦九(1759)年に松村家五代目当主の吉右衛門へあてた古文書が残った。
「絹市騒動の時に代官から絹宿をまとめる総代を受けろと書いてある。33軒の絹宿が名を連ねています」
古文書は松村家が当時、地域で中心的な役割を果たしていた証しで、家宝として額に入れて店内に飾っている。
家の歴史については、子供のころから母のいちさん(故人)からよく聞かされた。「絹宿から300年。家を守っていく大切さとプライドを持った」という。
藤岡には、三井越後屋(三越百貨店の前身)も絹宿を設け、絹の売買で財を築いた。このため、安永九(1780)年に越後屋が藤岡の諏訪神社に男女二柱の御み輿こしを寄進。神社内で大切に保管されていた。
「歴史ある御輿を生かしてまちの活性化を図ろう」。若者らの声を受け、神社大総代の松村さんが会長となり、諏訪神社御神輿保存会を立ち上げ、2003年の藤岡まつりから若者らが御輿を担いでいる。「絹宿から糸がつながっていて、巡り合わせを感じている」