絹人往来

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栃窪風穴 蚕種保存の冷蔵庫 唐沢 定市さん(74) 中之条町上沢渡 掲載日:2006/06/14


養蚕用具の説明をする唐沢さん
養蚕用具の説明をする唐沢さん

 「栃窪風穴(とちくぼふうけつ) 自然の氷室」
 中之条町が合併40周年を記念し、町民に公募して作製した「中之条かるた」にこんな読み札がある。中之条町歴史民俗資料館長、唐沢定市さん(74)は同町栃窪地区のこの風穴について「なんとか町指定文化財にして、養蚕の技術を残したい」と願っている。
 「風穴は、谷間の中腹に石垣を組み、屋根を乗せた小屋。岩の間から冷風が吹き出すだけの場所なら天然記念物。しかし、自然の恵みを巧みに取り込み『自然の冷蔵庫』にしたことは養蚕施設の立派な遺構だ」
 同町文化財専門委員会の調査によると、1910年に土地所有者の国からこの場所を借りた業者が、蚕種貯蔵を始めた。石垣で囲んだ地上一階、地下2階の建物だった。
 「地下2階の最下部に、冬季の間に地元住民がボランティアで運んだ天然氷が敷き詰められていたという。その上を風穴から冷風が吹き込んでくるため、蚕の種を保存するのに最高の施設だった」
 同町周辺では春蚕から始まって年間5回養蚕を手がけた。唐沢さんの両親も年間3回の養蚕を欠かさなかった。そんな両親の姿を見て育った。
 「早春に蚕種業者が置いてゆく蚕の卵は気温が上がるとふ化を始める。冷蔵庫の無い時代であり、低温を保ち、夏まで必要以上の種のふ化を抑えるのは大変だった。風穴を利用した氷室があってこそ、年間5五回もの養蚕を可能にした。上州を繭の産地に育て上げた理由の一つと言っていいのではないか」。冷蔵庫という低温保存手段が生まれるまでの風穴の重要な役目を強調する。
 「終戦直後まで使われ、最後のころは営林署が樹木の種を入れて保管していたと聞いている。1960年ごろ、屋根や小屋の部分は壊されたが、地下部分の石垣組みの氷室は原形をとどめている」
 所在地の土地購入は完了したが、山間地までの取り付け道路の問題が解決していない。唐沢さんは言う。
 「上部の作業小屋まで復元できるかどうか分からない。いずれにせよ県を代表する養蚕関連の貴重な近代化遺産に違いない」

(中之条支局 湯浅博)