絹人往来

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巡回指導 200戸の農家を一人で 横山 良治さん(72) 藤岡市三本木 掲載日:2008/02/15


表彰状を手にして養蚕についての思いを語る横山さん
表彰状を手にして養蚕についての思いを語る横山さん

 養蚕指導員を育成する県立蚕業講習所を卒業し、沼田市内の製糸会社を経て1956年、多野藤岡養蚕農業協同組合連合会に技術員として就職し、良質な繭の生産に力を入れてきた。
 「親が指導員として養蚕農家を巡回しており、自分も同じ道を進んだ。当時の養蚕は景気が良かった」
 指導員は、各農家を回り、蚕の成長に合わせて温度や湿度、餌の管理や病原菌対策の指導をはじめ、桑の植え付け方も教えて回った。当初は1軒1軒の農家を指導していたが、各地域で共同飼育所ができ、集団指導していった。
 「最初に指導していた日野地区では200戸の農家を1人で回った。共同飼育所ができて一括して指導できるようになり、効率的になった」
 「蚕の様子がおかしいと農家から要請があると現場に出向いた。蚕に病気が広がり、繭を作らず手遅れの時もあった」
 養蚕指導だけでなく、繭の流通指導で苦労する場面もあったという。
 「指導した農家が農協を通す正規のルートではなく、契約していない仲介者に売り払うヤミ取引をすることもあり、取引しないよう各農家に要請した」
 養蚕が盛んなころは、桑が足りずに埼玉県にまで出向いて桑を買いに行った。良質な繭を作るために餌となる桑の改良にも力を注いだ。養蚕振興に貢献し、全国養蚕農業協同組合連合会などから表彰状や感謝状を贈られた。
 「前年より繭の生産量が増えた時が1番うれしかった。農家とともに行く旅行で1年の疲れを忘れ、また来年も頑張ろうという気持ちになった」
 外国産の安価な繭などに押されて国内の養蚕が衰退し、多野藤岡養蚕農業協同組合連合会は86年に解散した。
 「採算が合わなくなって徐々に農家が養蚕を辞めていった。時の流れで仕方ない」
 「歴史を振り返るだけではいけない。虫(蚕)相手で難しいとは思うが、これからは品質や見た目など特殊な生糸を開発して外国産に負けないものを作っていくことが必要だと思う」

(藤岡支局 林哲也)