絹人往来

絹人往来

美術教員 着物に魅せられ志す 小池 幸子さん(67)  東吾妻町三島 掲載日:2008/10/10


小学生時代に感銘を受けた絹の着物を手に「絹産業遺産をぜひ世界遺産に」と話す小池さん
小学生時代に感銘を受けた絹の着物を手に「絹産業遺産をぜひ世界遺産に」と話す小池さん

 養蚕農家の末っ子として生まれ、子供のころに手伝った養蚕の記憶が今でも鮮明によみがえる。
 「小学校のころ、一週間ほどの農繁休暇があり、両親と一緒に蚕に餌の桑をあげた。2、3センチに成長した蚕を家の床一面に広げた光景をよく覚えている」
 美術教員の道を歩んだが、そのきっかけも養蚕に関係する。
 約60年前、小学校の入学祝いに両親が絹の着物を作ってくれた。家で糸から紡いだ純白の絹の着物が、カラフルな色と模様になって染色業者から届けられた。
 「繭が糸から白い布になり、着物になっていく様子を家でずっと見ていた。白かった着物にきれいな色とプリントが施され、衝撃を受けた。自分もこういうきれいなものを作りたいと思い、グラフィックデザイナーを志した」
 父親の反対もあり、東京の大学ではなく群馬大学芸学部(現教育学部)に進学。美術教員への道を歩むこととなった。
 個人の作品制作では、布に模様をデザインした作品を作るなど、平面的なデザインの分野に挑戦。卒業制作では、幼少時代に衝撃を受けた着物のプリントをモチーフに、布のカーテンに図柄をプリントした作品などに取り組んだ。
 教員になってからは、特に養蚕を意識した作品は作っていない。ただ、「何かを『美しい』『きれい』と感じる美意識の原点は、養蚕農家で暮らした子供のころの影響がある気がする」と話す。
 今でも、絹という言葉に反応してしまう。自宅には、絹の洋服やじゅうたん、人形などたくさんの絹製品が並ぶ。「4、50代のころに、衝動買いしてしまった。絹が身近にたくさんある生活は、どこか安心感があるので、今となっては買ってよかったかな」
 旧官営富岡製糸場を中心とする絹産業遺産群が暫定リスト入りし、世界遺産登録運動が盛り上がりをみせる中、昨年初めて同製糸場を訪れた。
 「養蚕農家だった親を見て、絹を作る過程の大変さが頭に入っているからこそ、絹産業遺産が貴重だとを感じた。ぜひ、世界遺産に登録され、多くの人に絹の魅力を伝えてほしい」

(中之条支局 入山亘)