絹人往来

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リフォーム 黒光りの梁2階は100畳 竹内 昭彦さん(43) 昭和村川額 掲載日:2008/03/04


黒光りする梁の下に立つ竹内さんと妻の里美さん
黒光りする梁の下に立つ竹内さんと妻の里美さん

 自宅は築120年の養蚕農家。母屋の梁(はり)や柱を生かしたままでリフォームを進めている。養蚕に使用していた2階部分を3つの子供部屋と寝室1部屋に造り替えるが、すべての部屋の天井を黒光りする梁が貫くなど斬新な造りになっている。
 「最初は新しい家を建てようと思っていた。しかし、いざ建て替えとなると、それぞれの梁にちょうなで削った跡が残っており、当時の職人の苦労が思い起こされた。先祖が苦心してこの家を造ったと思うと、壊すより手を加えて、子供たちに渡す方が良いと思った」
 かつて農業の傍ら菜種油の販売をしており、地元で「油屋」の屋号で呼ばれる竹内さん方。養蚕部屋にしていた2階は100畳ほどのスペースがあり、かつて地元住民が集まって旅芸人の公演を楽しんだこともあったという。
 「子供のころは2階に蚕棚があって、夏場は1階にまで桑を食べる音が響いていた。蚕を飼っていたのは1972年まで。次第にコンニャクの方が値段が良くなったのでやめたようだ。蚕具もほとんど、当時まだ養蚕をしていた吉岡町の知人に父があげてしまった」
 やがて2階はコンニャク芋の貯蔵庫になった。リフォームを考えるようになったのは、新しいコンニャク貯蔵庫ができた2年ほど前から。村内の工務店に相談して、ついに昨年5月から工事が始まった。
 「いろいろな業者さんに相談しました。半分だけ壊すとか、いろいろアドバイスをいただいた。でも家のことを知れば知るほど、このまま活用したいとの気持ちが強くなった。もちろんお金はかかるが、それは残されたものの責任でしょう」
 リフォームは3月末までに終わる予定。玄関部分を1メートルほど出っ張らせてガラスの瓦を使って採光を図ったほか、室内に床暖房やペレットストーブを取り入れるなど、こだわりが随所に生かされている。
 「昔と今の職人の良いところを集めたような家になるはず。かつて土間だった場所、馬を飼っていた時の柵の跡など、梁や柱にはそんな名残がある。いつか子供たちにそんな傷やへこみの理由も教えたい。これだけの家は一度壊してしまったらもう、造れないですからね」

(沼田支局 金子一男)