養蚕家屋 築128年“往時”伝える 渡辺 寿美保さん(68) 玉村町福島 掲載日:2008/10/02
「すべて養蚕のために造られた家だった」と話す渡辺さん
県道から少し入った住宅街。屋根の上に養蚕農家の特徴ともいえる「やぐら」のある大きな家屋がどっしりと建っている。
明治から昭和初期にかけて数多く建てられたが、当時としても大規模な養蚕農家だった。
「1番収穫できたときは、1トンを超えたと聞いている。養蚕をしている農家は米、麦、家畜とうまく組み合わせて1年間仕事が途切れなかった。それは農業経営にしてみれば、すごく安定したものだったと思う」
1963年に農業を継いだ。そのころは、周囲にも養蚕農家が多数あったという。
「蚕の手間のかかる時期を共同で管理する『稚蚕共同飼育所』を建てたり、養蚕組合を作って品質を良くしたり、高値で売れるようみんなで努力した。それと、玉村は県内でも早いうちから人工飼料の開発に取り組み、養蚕はとても活発に行われていた」
養蚕に関する研究会に参加して勉強するなど、熱心に取り組んだ。しかし、動物を扱う仕事は苦労も多かった。
「蚕は生き物。動物を飼うことはとても手がかかるし、神経を使う。それでも養蚕に取り組んだのは、あえて言うなら、農家にとって商品化率が高く、現金収入を得られる仕事だったから」と振り返る。80年ごろまでは、周辺のほとんどの農家が規模は小さくなっても養蚕を続けていた。しかし、82、83年ごろから急激に減っていったという。
「時代の変化や糸の値段が下がったことなどさまざまな理由が重なって、やめていったのかもしれない。88年まで続けたが、最後まで残ったのは二軒だけだった」
1880(明治13)年に建てられた養蚕農家の家屋で、今でも暮らしている。玉村町生涯学習課文化財係の小柴可信さんは「玉村を代表する養蚕農家の建物の一つ」と評価する。
「敷地内の蔵も、摘んできた桑がしおれないように、水をかけてしまっておくのに使っていた。家の間取りも養蚕に適したものになっていて、すべて養蚕のために造られた家だった。でも維持していくのは大変だよ」と苦笑いする。