機織り 伝承者の育成願う 桜田 八千代さん(67) 板倉町飯野 掲載日:2007/09/20
「機織り文化を伝えていきたい」と語る桜田さん
板倉町内の旧家で眠っていた織機を譲り受け、町歴史資料館の2階に復元した。それを活用して1999年ごろから、綿織物を伝えるサークル「織り姫」を始めた。
「古くから板倉には織物文化が根付いていた。私たちの代でそれを途絶えてしまったら申し訳なく思って活動を開始した」
リーダーとして、織り方から糸のつむぎ方までさまざまなことを参加している主婦らに指導している。
綿織物が伝統だった板倉町でも戦後間もないころまでは養蚕が盛んだった。養蚕農家に生まれ、子供のころは蚕に囲まれながら育った。しかし、肝心の蚕が苦手だったために苦労も多かったという。
「どうしても蚕を触る事が出来なくて。だから私の仕事はもっぱら桑摘み専門だった。大きなかごを背負って、家の前の桑畑に行っては山盛りになるまで葉を摘んだもんだよ。7人きょうだいの6番目だったけど、手先が器用だったから摘むのは誰よりも早かったんだ」
機織りに触れたのもそのころ。毎晩母親が自宅の機織り機で作業をしているのを見ては、子供心に「やってみたい」と思っていたという。
「まだ小さかったからやらせてもらえなかった。どうしてもやりたくて、誰もいないのを見計らってこっそりやったこともあった。いま機織りを手掛け、まして教える立場になるなんて、当時は想像もできなかった」
指導を続ける「織り姫」はこれまでに2期生を送り出したが、もっと活動の幅を広げていく考えだ。
4年前からは、個人的に絹織物にも取り組んでいる。買ってきた糸や生地を自然の素材で染色してスカーフに仕上げたり、もう着なくなった着物や使い古しの絹の生地を集めて帯にしてみるなど、思い付いたことは実践している。
「綿も独特の風合いがあるけれど、染色したときの美しさはシルクのほうがすてき。織り方が難しいが、挑戦のしがいはある。絹織物ももっとやっていきたい」
機織り文化の素晴らしさを若い人に伝え、少しでも多く伝承者を育てていくのが願いだ。