絹人往来

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裂き織 古い布地に新たな命 荻原アサ子さん(76) 高崎市上小鳥町 掲載日:2007/05/10


古い着物を裂き織でよみがえらせている荻原さん
古い着物を裂き織でよみがえらせている荻原さん

 「糸があれば、何でもできる。昔は物が買えなかったから、すべて自分でしなくてはならなかった。ハイカラな物を着たければ、自分でしなきゃ」
 ゆっくりながらもリズミカルに手足を動かし、縦糸を張った機織り機に、横糸を渡していく。
 縦糸になっているのは、はさみで幅1センチほどに切り裂いた絹の着物。横糸には、かすりの着物用の古い糸を使い、織り目のところどころに細かな模様を浮かび上がらせる。
 裂き目の膨らみや、うねるような織り柄が味わい深い裂き織。「着物の柄に反して、思いがけない柄が出てくるのが面白い」という。毎日、3時間は織り機のある納屋で作業する。
 養蚕農家の長女として相馬村(現高崎市箕郷町)に生まれ、幼いころから母親が機織りするのを見て育った。
 「絶対に触るなよ、と言われても、母がいなくなったすきを見ては、いじっていた。簡単だから、小学校を卒業するころには1人で織れたよ」
 21歳で嫁いだ先も養蚕農家。義母や親せきに帯を織ってやった。稼ぐために機械織りに切り替えて内職したが、息子2人が大学を卒業して手が離れると、織り機からも遠ざかった。
 裂き織に熱中するようになったのは9年前。その2年ほど前、背骨を骨折し、療養中だった。
 「農繁期に家族や近所の人が動き回る姿を見て、何か自分にできないか、と思った。内職で世話になった伊勢崎の会社に電話すると、社長は亡くなってしまっていた。奥さんから、残っている糸をごみに出すつもり、と聞いて、たまらなくなって糸を譲ってもらった」
 糸を譲り受けたのと前後して、生家の母屋が取り壊されることになり、母親の使っていた機織り機を自宅に引き取った。
 「落書きが残っていたり、上によじ登って遊んだことを思い出したらうれしくてね。見たら、織りたいと思っちゃった」
 今は新しい小型の機織り機を使い、コースターやきんちゃくなどの小物から大判の敷物まで手掛ける。ぬくもりある手織り作品は、友人に贈るなどして喜ばれている。古い着物と糸が生まれ変わる瞬間を楽しみに、織り機に向かっている。

(高崎支社 天笠美由紀)