絹人往来

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和服 人一倍大事にしたい 桑沢かつ子さん(63) 太田市飯田町 掲載日:2007/3/6


半世紀以上も前に作られた思い出の品を手にする桑沢さん
半世紀以上も前に作られた思い出の品を手にする桑沢さん

 緑豊かな長野県辰野町で、8人きょうだいの6番目として生まれた。生家は創業から100年以上続く染め物業者。多くの職人たちが蚕から絹糸を作っては、染める作業を見つめてきた。
 「糸を紡ぎ、着物にするまでどんなに大変か、小さいころから知っていた。だからこそ、着物を大事にしたいという気持ちが、人一倍強くなった」
 結婚して大泉町に暮らし、30年以上、町内で呉服店を切り盛りした。
 「初対面のお客さんでも、この人なら、こういう着物が似合う、というインスピレーションを感じた。それは子供のころから、絹や着物に慣れ親しんでいたからだと思う」
 問屋から店に仕入れる時も、常連客の顔が思い浮かんだ。「あの人に着せたい」という思いが仕事に向かう力の源になった。店は週末を中心に、太田市の結婚式場などで、和服の展示会を開いた。成人式を控えた12月、1月の展示は振り袖が中心。一生に一度の節目を迎える若い女性を前にすると、心が華やぎ、薦める和服の目利きも鋭くなった。
 「成人式や七五三のお客さんは本人と両親、祖父母の三代がそろって店に来て、選んでくれた。高価なものだから、なかなか決められない姿を見ると、失敗しないよう自然とアドバイスしてあげたくなった」
 晴れ着選びは家族の一大事。和服がその家族の一体感を保ち、きずなを深めているように感じた。
 「成人式の当日には、赤飯を炊いて届けてくれたり、終わってから手紙を頂いた。商売の域を越えた喜びを味わった」
 呉服店は7年前に閉店した。
 「着物って歩くと『キュッ、キュッ』ってこすれる音がするでしょう。よくいう『きぬずれ』っていう音。化学繊維には無い肌触りももちろんいいけど、あの音も魅力よね」
 商売を辞めた後も、自宅には捨てられない、たくさんの和服が残っている。それぞれに思い入れは深い。
 「民族衣装だもの。だから、後々の代まで引き継いでいかなければならないと思う。皆、着物の格好で、ゆったりした気持ちになれば、おかしな事件は起こらないんじゃないかしら」

(太田支社 塚越毅)