絹人往来

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稚蚕飼育所 収繭量を競い合う 石関 忠明さん(72) 太田市東長岡町 掲載日:2008/04/23


「稚蚕飼育所は活気があり、面白かった」と話す石関さん
「稚蚕飼育所は活気があり、
面白かった」と話す石関さん

 「昔は地域の稚蚕飼育所で蚕を育てた。地区中の人が集まってきて、小さいころから自然と世間が広くなった」
 最盛期には150軒近い養蚕農家でにぎわった太田市韮川地区で、農家の7代目として、今なお養蚕を続ける。
 「当時はみんなと一緒に朝7時ごろから夜まで働いた。和気あいあいとやっていても、お互いが競争意識を持っていて、ほかの人より多く収穫できるよう必死だった」
 多い家は年に5回蚕を飼い、各農家の収繭量を耳にする度に「励みになった」と振り返る。普段の生活も養蚕が中心で、両親や7人の兄弟が寝る間を惜しんで働いた。長男だったため、責任や期待は大きかったという。
 「小学校1年のころから手伝っていた。父が6年生の時に亡くなったこともあり、その後は近所の人たちからも教えてもらい、蚕の育て方などを覚えていった」
 かやぶき屋根の家の中も蚕中心。母屋に蚕を育てる棚を並べ、蚕が桑の葉を食べる音を聞きながら眠る日々を送った。
 「蚕が繭を作るまでが1番忙しい。それまでは毎日、餌となる桑の葉を取りに行っては、蚕に与え、すぐにまた取りに行く生活だった」
 仕事を覚えるだけでなく、一家を支えていく上でも、いくつもの苦労があった。それでも「蚕は正直なもんだ。丁寧に仕事した分だけ、きちんと応えてくれる。今でも収穫が1番の喜び」と笑顔をみせる。
 稚蚕飼育所がなくなり20数年が過ぎた。今では地域で唯一の養蚕農家となったが、妻のチヨさん(70)と二人で春と秋の年2回、蚕を育て続けている。
 全盛期に比べ規模は小さくなったが、「近くの保育園児が散歩で通り掛かると、蚕を見たことがないのか、興味深そうに見ていく。楽しんでいる姿を見るのは、うれしいもんだ」と目を細める。
 自宅近くをはじめ、約30アールある桑畑では、今年も順調に葉をつけている。
 「稚蚕飼育所がなくなり、話し相手はいなくなった。これから先、どのくらい続けられるか分からないが、養蚕にもっと光を当ててもらいたい」

(太田支社 毒島正幸)