絹人往来

絹人往来

旧碓氷社 「一家団欒」守り糸作り 庭野 義智さん(71) 安中市磯部 掲載日:2006/09/26


旧碓氷社本社事務所を見つめる庭野さん
旧碓氷社本社事務所を見つめる庭野さん

 1878年に創業し組合製糸の先駆けとなった旧碓氷社。後のグンサンに入社し、1998年末の会社解散に常務取締役としてかかわった。
 「碓氷社の50年史に創業者、萩原鐐(りょう)太郎の言葉で『碓氷社の組織は即(すなわ)ち此の一家団欒(だんらん)ということに最も重きを置き』とある。大きな工場に農家の子女をたくさん集め、長時間の労働を強いる器械製糸への批判があった」
 碓氷社は各地に生産拠点を置き、地域での生活を守りながら生糸を作っていた。
 「戦後発足したグンサンも『一家団欒』の思想を引き継いでいた」
 中学校を卒業したばかりの若い女性を募集し、寄宿舎に住まわせた。
 「会社の信頼は働く人間への信頼。親御さんたちの信用を得られるよう、従業員の生活に責任を持った」
 年末、従業員は家族への土産を手に実家に帰っていく。
 「年が明けると経営陣が手分けして年始のあいさつにまわった。それぞれの家庭が汁粉などを作って待っていてくれる。何杯もごちそうになり腹いっぱいだった」
 繁忙期は役員でもデスクワークを放り出し、丸首シャツ1枚で農家に繭を取りにいき汗だくになった。
 「シーズン最初の4、5日は体がなまっていてフラフラする。それが1週間経つと、足腰がしっかりしてくる。社員が一体になって働く楽しさがあった」
 安中市原市のショッピングセンターの一角に保存されている、県重要文化財の旧碓氷社本社事務所の移転や資料整理にも携わった。
 「グンサンが業績低迷に苦しんでいたため、国道18号に面した広い敷地の活用に活路を見いだそうとした。事務所がネックとなったが、地域の農家とともに生きた先人の精神が集約されている建物。解体はできなかった」
 官営の富岡製糸場に対し、地元養蚕農家の資本を結集した碓氷社は「民」の象徴とされる。
 「養蚕は地域の生活習慣を守る一つの主軸。近代化のいい部分を受け入れながら祖先から引き継いだもの、若い女性のことを考えた碓氷社の精神は、現代でも通用するものがあると思う」

(安中支局 正田哲雄)