絹人往来

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養蚕指導 目で確かめ信頼築く 田島 孝一さん(56)  前橋市粕川町女渕 掲載日:2008/11/07


「養蚕は地域のつながりを深くしてくれた」と振り返る田島さん
「養蚕は地域のつながりを深くしてくれた」と振り返る田島さん

 養蚕指導歴30年のベテラン。豊かな自然に恵まれた赤城南麓(ろく)を舞台に、養蚕の指導に奔走してきた。
 「旧宮城村に来て20年あまり。今は前橋市内で二カ所しかない共同飼育場も、当時は宮城村だけで30以上もあった。辺り一面は桑畑。少し歩けば養蚕農家や飼育場があるような地域だった」
 旧粕川村の養蚕農家に生まれた。30年前、指導員としての一歩を踏み出し、県内や栃木で指導した。
 「一軒一軒自分の足で農家を回り、自分の目で確かめる。とにかく現場が勝負だった。相談に乗ったり、飼育指導をしたり…。『おかげさまでたくさんいい蚕が育った』と言われた瞬間は、やりがいを感じた。各農家で出来栄えを競っていてね。『あそこの家よりよく育った』とか、よく自慢話を聞かされたもんだよ」
 小さい蚕を管理する共同飼育場での仕事も重要だった。
 「飼育場では3齢目までを見る。病気にならないよう温度やえさの量には気を配った。普段は競争している農家も、この時ばかりは一緒になって蚕の話をしながら大事に成長を見守った。『いいものを育てたい』という養蚕を愛する住民たちの思いが、繁栄を支えていたのかもしれない」
 やがて、養蚕農家は少なくなり、主要産業は野菜や花、米に変わった。畜産や観光も盛んだ。
 「個人的には、また養蚕が盛り上がるのを楽しみにしている。しかし、養蚕がなくても特性を生かしてほかの分野もやっていける、この地域の可能性には感心する」
 JA前橋市宮城支所の職員として、現在は野菜や花の栽培指導を中心に住民とかかわる。たまに養蚕の相談を受けることもあり、人間的なつながりは変わらない。
 「盛んだったころは、住民同士の話題は養蚕ばかり。養蚕の季節が終わると、みんなで労をねぎらって旅行に行ったもんだよ。『1年の疲れを癒やしてまた頑張ろう』と酒を飲んだりしてね。それがモチベーションになっていた」
 仕事の内容は変わっても、地域の人々と築き上げてきた信頼関係が、今も根っこを支えている。

(前橋支局 堀口純)