裂織り 子供時代の願望実現 竹中恵美子さん(69) 桐生市平井町 掲載日:2007/12/14
自分の着物を染めて裂いた布を手にする竹中さん
父は85年前、京都の西陣から帯の組織を教えるため、桐生に越してきた。図案屋として働く父の元で、生まれた時から絹のにおい、肌触り、着物の鮮やかな色に囲まれて育った。
「私にとって着物は身近でいとおしいもの。絹のなめらかな手触り、染めた時の発色の良さ。その魅力は体に染み付いている」
家族は日ごろから着物を着ていたが、時代の主流は洋服に変わっていた。父と同じ業種に就くことに反発もあり、洋裁学校へ進学した。卒業後は、旧桐生ドレスメーカー女学院の教師になった。
「結婚後は主婦になり、趣味として鎌倉彫を始めた。彫りをして漆を塗った時のつやがとても美しくて。今思うと、それが絹の光沢に似ていたから魅せられたのだと思う」
5年前、友人から織物教室への参加を誘われた。「自分も織物を織ってみたい」。父の背中を見て、子供のころに抱いた願望に再び火が付いた。
「思い付いたのが、着なくなった着物を素材にした裂(さき)織り。柄の入った着物をイメージに合わせて染める。それを手で裂いて、リジット(卓上手織り機)で織り上げる」
3年前から県展や群馬現代工芸美術展にも応募を始め、入選、入賞を飾った。横1メートル、縦2メートルのタペストリーに使う着物は、両親から贈られた子供の時の着物や母の形見など、思い出の詰まったものばかりだ。
「洋裁の道を選んだのに、最後は絹に戻って父と同じことに熱中している。着物を染める時、自然と色をイメージできるのは、父の仕事を手伝って図案に触れてきたからだと思う」
大作のタペストリーは織る作業よりも、デザインや配色に頭を悩ませる。素材となる着物を探して、イメージ通りに染める作業は、手間と根気のいる作業だ。
「自分にとって愛着がある着物ほど、仕上がった後の変わり方が楽しみ。染めることで着物本来の柄はかすんでしまうが、新たなアートとして生まれ変わることができる。うまくいかないこともあるけれど、私にとっては1着1着が挑戦」