染色 微妙な変化技で演出 高橋 弘志さん(55) 高崎市下室田町 掲載日:2007/3/23
赤く染め上げた反物を手にする高橋さん
羽二重、綸子(りんず)、ちりめん、紗(しゃ)…。さまざまな絹の無地染めを手掛けて30年近くになる。
「同じグリーンでも、青みがかっているもの、黄色みがかっているものとで違う。基本は赤、青、黄の3原色。染料の混ぜ方で、微妙な色の違いを出せる。生地にもよるし、染料液の温度、生地をつける時間でも、色は違ってくる」
呉服も扱う高橋染織店は、明治時代に祖父が興した紺屋(こうや)から数えて3代目。2年間、京都の呉服問屋の熊谷営業所で修業し、着物を見る目を養った。25歳で家業を継いだ。
「初めは、染色も見よう見まねだったけど、子供のときから見ていたからね。2年くらいで身に付いたよ。色見本にない中間色に染めることも多い。既製品を見ると、新しい色を作りたい、という気持ちになる」
染色は、釜に沸かした湯に染料を溶かし、色が均一になるように生地を沈める作業。
当初は顧客が色見本で指定した色で染めるだけだったが、10年もたつと、その人の持っている着物や好みの色を知り、助言できるようになった。
「小さい見本と反物に仕上がったときでは印象が違う。『着物としては、あなたには地味だよ』とアドバイスすることもある」
着物が日常着だった時代、汚れたり、日に焼けてあせると、染め直し、よみがえらせるのが当たり前だった。絹には、染め変えに耐える強さがあった。「絹はやわらかく、着やすいし、何と言っても、光沢がきれい。足もとがスッと動き、すそさばきがいい」
大量生産や所得の増加によって絹が手に入りやすくなると、染め直しよりも新しいものを買う方が安上がりになった。高崎市内にあった多くの染物屋も店をたたんだ。「着物が高くなりすぎてしまった」と残念がる。
5年前、廃業した捺染(なっせん)屋から型紙を入手し、生かす方法を研究している。絹だけでなく、木綿や麻も扱い、手描きの柄物、藍(あい)染め、柿渋染めにも取り組む。「自分で着なきゃ話にならない」。はんてん、作務衣(さむえ)、着物に仕立て、粋にまとう。
「楽しいから続けている。自分が楽しみながら、染色や着物の良さを伝えていきたい」