絹人往来

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整経 工夫と経験で技術磨く 大山 仙八さん(73) 伊勢崎市安堀町 掲載日:2007/06/19


スイッチを入れればすぐに動きだす整経機と大山さん
スイッチを入れればすぐに動きだす整経機と大山さん

 「整経の看板を今でも上げているのは、伊勢崎でもうちだけになっちゃったかな」
 織物を織るのに必要な長さの経糸(たていと)を取りそろえることが整経で、「経(へ)る」といわれる。工場の真ん中に置かれた整経機は直径1・5メートル、幅2メートル。糸が装着され、スイッチを入れればすぐに動きだす。
 「36歳で独立してから、ほかより安く、いい糸を経るために、糸巻きを太くしたり、切れた糸を結ぶ機械を導入したり、いろいろなことをしてきた」
 工夫に工夫を重ねた結果が「大山整経」を今日まで存続させてきた。
 「18歳の時、伊勢崎市内の整経屋で見習として働き始めた。そこで身に付けたのがしま柄の技術。しま柄はどこからどこまでを一つのしまとして分解するかが難しい。基本知識を学ぶとともに自分でもしっかり勉強した」
 今でもすぐに取り出せる技術書の表紙は、焦げ茶色に変色している。その色からは長年にわたって技術に磨きをかけてきた強い意志が伝わってくる。
 各工程ごとに独立した分業形態をとるのが伊勢崎絣(がすり)。携わってきた整経は、紺屋の次、捺染(なっせん)の前の工程になる。
 「紺屋はいい色に染まったとか、捺染は柄が崩れずにできたというように自分の仕事が目に見える。でも整経は自分の仕事が、よくできたかどうか形として残ることはない。捺染業者からのクレームがないことが良い仕事の証し」
 紺屋から渡された糸に、どれだけのりがついているかが分かるようになれば一人前といわれる整経業。
 「湿度が高ければ糸は伸びるし、低ければ糸は縮む。のりが強い時、弱い時にどうやって整経するか。経験を積み重ねるしかない。一つ一つの仕事ごとに残してきたメモが役に立った」
 「5年前、しまの中に柄がある服地の整経をした。ほかの整経業の人にはちょっとできない、うちしかできない仕事だと思った。依頼先がうちの技術力を見込んで、全部任せてくれたからこそできた。その服地が大ヒットした。自分のこれまでの技術が世間に認められた、と確信した仕事だった」
 技術と経験を生かして10年ほど前から服地に使う絹織物に取り組んでいる。
 「まだ自分が納得したものは1度もできていない。満足したらそこで終わり、進歩がなくなっちゃうでしょう」
 今なお職人かたぎで生きる。

(伊勢崎支局 田中茂)