買次商 流行を読み創作手助け 島崎 英三さん(73) 桐生市本町 掲載日:2008/01/11
新井淳一さんデザインの布地を生かしたマントをまとい、クッションを手にする島崎さん
1951年、江戸時代から続く買次商の名門、小野里商店の流れをくむ山喜商店に奉公に上がった。16歳の時だった。以来、半世紀にわたって桐生織物を支えている買次業に携わっている。
「ものづくりは楽しいもの。繊維産業に従事する人は“創作”を忘れてはいけない。女性をモダンに美しくさせる繊維は欠かせない産業。未来は大きく開けている」
68年12月、山喜商店から独立し、島崎商店を立ち上げた。
「買次商は織物に限らず、絵画や陶器などから情報をつかむのが大切。情報を下に、形や色などの流行を先読みして機屋に伝え、新製品を作り出す手助けをする」
つむぎの着尺地や着物の裾(すそ)回しが売れた76年は好景気にわいた。
「東京の問屋からは無地の裾回しを工夫するよう注文が相次いだ」
つらい体験も多い。50年以上の商売で、取引をしていた問屋のうち、24四軒が倒産、廃業。もちろん損を被ったこともある。
だが、世界にないものを生み出せる仕事という誇りが買次業を支えてきた。新しい織物に挑戦し、売れると、言いようのない喜びがある。
「いま商売ができるのは、有名、無名の先人たちが築いた遺産の上に乗っている。桐生産地をこれからの人たちにしっかり受け継がなければ、先輩たちに申し訳ない」
桐生天満宮に近い買い場通りで、96年から続く買場紗綾市の実行委員会副委員長を務める。
「残念だが、紗綾市では和装製品はなかなか売れない。紗綾市を意識して絹のワイシャツやショール、作務衣(さむえ)を考案した。これらの製品が、紗綾市を離れても、売れている」
着物調の上着ともんぺ風のズボンの作務衣は本来、作業着だったが、今はおしゃれな服装として、人気を支えている。
テキスタイルプランナー、新井淳一さんの布地を和装に取り入れたのも思い出の一つだ。
「絹ではなく綿とウールでマントやクッションを作った。自分用も持っている。いつか、これを身に付けて都心を闊歩(かっぽ)してみたい」
織物に取り組む若者に熱い期待を抱く。「健康に留意して、世の中のため、繊維産業のために頑張ってもらいたい」
新しく作った名刺に「絹浪漫 桐生は日本の機どころ」と刷り込んだ。