記録写真 製糸場の“価値”を撮影 茂木 久雄さん(81) 富岡市中高瀬 掲載日:2008/02/26
愛用のカメラを手に、製糸場について語る茂木さん
旧片倉工業富岡工場が1987年3月、操業停止の際に残したアルバム「創業115周年記念」の撮影、製作を請け負った。工場内の建造物に加え、記録に残るケースがほとんどなかった繰糸場、揚げ返し工場の操業風景など、貴重なカットが多い。
「広い工場はちり1つなく、機械の音だけが響き、工員はごくわずか。自然光を意識し、人物のいない場所はスローシャッターを切った。人物を入れて撮ると、工員に『私も入れて撮って』とせがまれたりした」
「記録として残した写真なのに、建物の外は雪景色。急いで作って、と頼まれた覚えがある」
工場内の撮影に携わったのは、市内で写真館を開いていた72年から。工場の起源である旧官営富岡製糸場の創立100周年に合わせた「日本近代産業発祥100年祭」で、市から記念事業用に資料の撮影を頼まれた。
「ありったけの機材を持っていき、工場職員や市職員の手も借り、用意された資料を短時間で撮った」
この時カメラに収めた錦絵や書類、表彰状などのネガの1部は、手元に残っている。長野県岡谷市の岡谷蚕糸博物館にも出掛け、官営期のフランス製繰糸機や水分検査器も撮った。写真は100年祭の小冊子や記念絵はがきにも使われた。
「以来、工場に足を運ぶようになった。敷地の中を自由に歩き、建物の外の風景を撮らせてもらった。事務員から『フジの花がよく咲いていますよ』などと電話をもらうと、飛んでいった」
「今のように大勢の見学者が入っている風景と違い、中でみな仕事をしていただけ。さほど長い時間がたったわけではないが、建物が変わらないのは不思議な気もする」
操業停止後、工場が販売した絵はがきの写真も撮影。片倉が場内に設けたギャラリーには、引き伸ばした写真が飾られた。もらった社員バッジは大事にしている。
製糸場は富岡市に移譲された。市が今後、整備活用計画を策定し、1部にとどまっている公開範囲の拡大などを検討する。
「内部を見せなければ、見学者に価値を分かってもらえない。1部分だけでも機械を動かし、繭から糸をとる作業を見せてほしい」