絹人往来

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小紋 武家の裃 染めた型紙 落合 荘吉さん(72) 高崎市江木町 掲載日:2006/09/30


自宅に残る型紙を手にする落合さん
自宅に残る型紙を手にする落合さん

 約400年の歴史を誇る、通称だるま紺屋(こうや)の流れをくむ。
 「捺染(なっせん)、手描き友禅、引き染め、無地染め。木綿なら手ぬぐい、浴衣、のれん、はんてんなどの印物。和風の染め物が高崎の特徴。紺屋の多さでは、まず江戸、次いで京・大坂、高崎はそれに次いでいたと聞いている」
 織物の最盛期は着物の最盛期と重なる戦前。紺屋も同じ。しかし、高崎の紺屋は昭和40年代まで隆盛が続き、関東一円や信越、東北の呉服、京染屋から注文が来た。
 「捺染組合などが技術をアピールして、積極的に仕事を開拓したおかげ」
 桐生や伊勢崎は糸を染めてから織る先染め。高崎は反物を染める後染め。「先染めの紬(つむぎ)などは数百万円するものも珍しくないが、あくまで普段着。でも、小紋は背中に家紋があれば、正式な服装」
 小紋は、武士階級しか身に着けることができなかったという。自宅には武家の裃(かみしも)に染めた型紙が残る。サイズが大きく、肩衣(かたぎぬ)を染めたことが分かる。
 「県繊維工業試験場が型紙の本を作るために調査した時、父は『燃やしてしまったと思う』と答えたけど、後で見つかった。貴重な資料だったのに本に載らなかった」
 家業を継ぐつもりはなかったため、群馬大工学部に進学。学科だけは父親の意向で色染化学を選んだ。卒業後は外資系の薬品・化学会社に就職し、約10年間働いて父の後を継いだ。
 「染色は研究しようとすると難しい。でも、理論を知らなくても紺屋にはなれる。そこが、この仕事の面白いところ」
 高崎の工場は高崎駅から徒歩10分ほど。住宅地となったこともあり、11年前に閉鎖。現在はみなかみ町須川の「たくみの里」で藍(あい)染めの家を運営している。
 「藍は毎日染料をかきまぜ、石灰を入れなければならないため留守はできない。もともと山好きのこともあって、ここが気に入っている。結局、一生染め物から縁が切れそうもないね」

(高崎支社 大塚建志)