絹人往来

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紋切り 地域での分業次代へ 周東 直樹さん(41) 桐生市広沢町 掲載日:2007/4/1


レース(左)と紋紙を手にする周東さん
レース(左)と紋紙を手にする周東さん

 システム会社で織物デザインの開発に取り組んでいた時のこと。担当した名古屋の「紋切り屋」に「実家も紋切り屋で、ゆくゆくは跡を継ごうと思っている」と打ち明けたところ、こう一喝された。「10年遅いわ」。焦る気持ちが沸いた。
 紋織りのために図案屋が描いた星図(紋図)をもとに紋紙に穴をあけていくのが紋切り屋の仕事。父が桐生で経営する周東紋切所は曽祖父の代から続く。
 「最後は紋切りをしなくちゃいけないという気持ちが子供のころから心の隅にあった。紋切りは、簡単にはできないなとも思っていたけど…」
 父のもとに戻ったのは14年前。28歳だった。お客の強い要望が待っていた。
 「父がレースに手を広げ、新しいデザイン設計を望まれた。デザインに新システムを導入している福井県の企業で、いきなり1年の研修生活に入った。今までと畑が全く違う世界だった。何も分からなかったので最初は抵抗があったが、懸命に覚えた」
 レースのデザインはインテリアから下着まで幅広い。「以前は制作できなかった複雑な絵柄、図などができる。多様化する消費者のニーズを受け入れて生産のスピードも上がる。10年間で家業のレースのジャンルは幅が広がった」と振り返る。
 今はレースが中心だが、徐々に仕事を紋切りにシフトしようと思っている。桐生の織物は意匠、紋切り、機こしらえ、織りなど複雑な工程が支えてきた。しかし、市内の紋切り屋は十数軒で、後継ぎがいるのは4軒だけ。
 「桐生は分業制でいわば一つの“チーム”。後継ぎがいないと長い間に作り上げたスクラムが崩れてしまう。ソフトボールで三塁手が急に抜けたら困るでしょう。そうならないように、桐生にしかできないものを作っていくことが大切」
 二児の父になり、現状への危機感とともに、仕事への意欲を強めている。
 「子供が大きくなった時、就職を考えてもらえるような魅力がある仕事を続けたい。『おやじの仕事おもしろい』と言ってもらいたい」

(桐生支局 五十嵐啓介)