絹人往来

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児童に指導 気になり毎日学校へ 深沢 富四郎さん(84) みどり市大間々町桐原 掲載日:2007/09/05


教室で蚕の飼育を子供たちに指導する深沢さん
教室で蚕の飼育を子供たちに指導する深沢さん

 児童への養蚕指導を続けている。
 「毛ほどの小さい生き物が一万倍の蚕になる。自分で育て、観察することで命の大切さを実感できる」
 桐原稚蚕共同飼育所組合長を辞めた直後の2003年春。地元の大間々北小学校から「蚕の話をしてほしい」と要請された。40年間の経験が子供たちの役に立てばと引き受けた。
 対象は3年生で、専門的なことを話しても理解できない。そのため、大間々町の養蚕の始まりや蚕の生態について説明することにした。
 「新田義貞が挙兵した際に大間々には絹織物があり、これを旗頭に家紋を入れて出陣したこと。江戸時代末期から昭和まで、町に買場があり毎月、市が立ち、その日は祭のようににぎわったことを話した」
 「この話がきっっかけで、学校で卵から蚕を飼うことになった。飼育経験は長いが、卵から育てたことがないので慌てたね。種屋さんや技術指導員に相談しながら始めた」
 県蚕種試験場から蚕卵が送られてきた。温度、湿度管理が難しく、担当の先生たちは家に持ち帰り毛布に包んで育てた。
 県の飼育標準表を見ながらの作業だった。気になって、朝食を済ませると毎日学校に向かった。先生たちと打ち合わせしながら3齢まで進み、そこから児童に分配して飼育した。
 「1人10匹くらい箱に入れて飼育したが、日ごとに蚕が大きくなり児童は皆大喜びだった。最初は気味悪がって手が出ない子が多かったが、だんだん慣れてきて、中には顔につけたりする子もいた」
 「教室なので消毒出来ないことを心配したが、非常に良い繭ができた。大成功だった」
 蚕の飼育は3年の総合学習としてすっかり定着。5年目の今年も質の良い繭を育てた。桑畑が減り、桑の確保が難しくなっているが、地域の協力でしのいでいる。
 「桑に農薬がかからないよう、知り合いの農家には注意して育ててもらっている」
 継続に向けた意欲は衰えていない。

(わたらせ支局 本田定利)