絹人往来

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2世代 会社辞め“伝統”担う 金井 隆明さん(40) 富岡市白岩 掲載日:2007/10/09


父子で養蚕に取り組む金井一男さん(右)と隆明さん
父子で養蚕に取り組む金井一男さん
(右)と隆明さん

 安中市内の測量会社を6年前に退職した後、家業の農業に従事、父でJA甘楽富岡養蚕部長の一男さん(66)と一緒に養蚕に取り組んでいる。富岡甘楽地区では少ない、2世代の養蚕農家だ。
 春に飼育するのは本県のオリジナル蚕品種ぐんま200、夏から秋は収量などの多い錦秋鐘和(きんしゆうしようわ)。春、夏、初秋、晩秋を合わせた一家の収量は年間1・5トンに上る。
 「家に入り、ごく自然に、見よう見まねで養蚕を手伝い始めた。今の仕事の労力の八割程度は養蚕。採桑学の本を読んで多少は桑園管理などの知識を吸収をしているつもりだが、まだまだ」
 蚕は湿気や蒸れに弱く、毎年違う陽気に気を使う。「今年のように高温になると、夏蚕や初秋蚕の収量が落ち、がっかりする。自然に影響される農業は、計画的に予定の収量を上げるのが難しい」
 家に入る以前から、繁忙期の上蔟(じようぞく)などを手伝ってきた。県立農林大学校を卒業しており、家業を継いだのも「土木業界の厳しい状況に加え、家のことが気になった」ため。しかし繭の流通先が碓氷製糸農協(安中市)以外にほとんどなく、養蚕を取り巻く環境も厳しい。中山間地の地元集落では以前、50戸近くのほとんどが養蚕を手掛けたが、現在は2戸に減少。その1戸も年配者という。
 国内の養蚕は安価な外国産生糸に押され、補助金に支えられている側面がある。「助成金を打ち切られれば、厳しくなる。伝統産業といっても、経済的に自立できなければ継続できない」と考える。一男さんも「需要のある間は頑張らなければ、と思うと同時に、親としては、積極的に続けてほしいというわけにもいかない」と、複雑な心境をのぞかせる。
 富岡市では本県の絹産業遺産群の中心、旧官営富岡製糸場の世界遺産登録運動が続いている。「登録されれば知名度も上がり、お客さんも来てくれるかもしれないが、養蚕農家にメリットがあるかどうか」と思案する。一男さんが「上手に利用して商品開発に結びつければ、活路が生まれるかもしれない」と話すように、商工業者の新たな取り組みに期待をかけている。

(富岡支局 西岡 修)