絹人往来

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蚕糸高 御養蚕所で卒業生激励 剱持又三郎さん(80) 安中市原市 掲載日:2008/04/22


当時の資料などを前に語る剱持さん
当時の資料などを前に語る
剱持さん

 県立蚕糸高校が安中実業高校へ校名を変えた1987年、校長としてその場に立ち会った。連日の職員会議や説明会、OBへの趣意書―。「みんな養蚕の衰退を心配していた。それでも、蚕糸科卒業生で養蚕関係に進むのはわずか数人というのが現状だった」
 蚕糸高は本県の伝統校として、前身の蚕糸学校時代の18年から毎年、皇居内の紅葉山御養蚕所に、皇后さまが育てられる蚕の上蔟(じょうぞく)作業の奉仕を行う助手としてOBを派遣していた。そして今年3月、安中実業高も95年の長い歴史の幕を閉じた。
 閉校式に参加し、御養蚕所で主任を務めた蚕糸高OBの神戸礼二郎さんとの一期一会の出会いを思い出した。
 同校へ赴任2年目の86年5月、「助手として奉仕していた新卒生3人の激励のため」御養蚕所を訪れ、神戸さんと出会った。神戸さんは御養蚕所に在職中の18年間、主任として大勢の若い奉仕者を指導した。
 「生徒思いの方で(生徒が奉仕を終えた後も)就職などの面倒をみてくれた。温かい人柄で誰からも慕われていた」。皇后さまや侍従の信頼も厚かったという。
 その後、何回か手紙のやりとりはあったが再会の機会はなかった。
 神戸さんは96年に亡くなった。「御養蚕納めの後、皇后さまが初繭とともに歌をお詠みになったと聞いている」。シルクの学校が取り持った一期一会の縁だったと、神戸さんをしのぶ。
 定年で学校を去る時も「蚕糸科はなくなったが、何とかして生徒たちが養蚕を学ぶチャンスを設けたい」と、クラブ活動に養蚕を取り入れるなど、全国有数の伝統校に“養蚕の灯”を残すことに尽力した。
 編集者で評論家の扇谷正造の言葉が好きだ。
 「地球上には幾千幾万の昆虫がいて、みな葉っぱを食べて生きている。その大半は食べた葉緑素を糞(ふん)にして排出しているだけだ。しかしカイコだけがそれを消化し、美しい絹糸を吐き出している」
 この言葉を胸に抱きながら、養蚕が再び脚光を浴びる日が来ると信じている。

(安中支局 菅原龍彦)