養蚕指導 農家の目線で効率化 鎌塚 保太郎さん(61) 前橋市粕川町月田 掲載日:2008/11/20
全国蚕業技術員体験発表会の農林大臣表彰を手にする鎌塚さん
農家の収入を上げたいという一心で養蚕指導員として働いてきた。規模拡大が必要と考え、機械化や効率化を進め、25年間担当した前橋市芳賀地区を中心に次々と新しい取り組みを試みた。
「県内でも一カ所だけ違うことをやっていた感じ。ほかでやらないことをどんどんやった。少しでも農家の生活に貢献できていると思うと、やりがいがあった。失敗を考えると苦しくもあったが、仕事をしているのが楽しくて仕方なかった」
昭和40年代、桑の葉を1枚ずつ蚕に与えていたのを改め、枝ごと与える方法と設備を普及。50年代には稚蚕への人工飼料のほか、多段循環式飼育装置、条桑刈り取り機などを導入した。年7回飼育する「多回育」にも取り組んでもらった。
「農家には、いくらいい技術であっても、強い信頼関係がないと取り入れてもらえない。失敗したら、この職をやめようという覚悟がないと相手に伝わらない。熱意が必要なんだ」
勢多農林高校から県立農林大学校に進学、蚕業を学んだ。当時、花形の業界で1学年20人全員が奨学金の受給対象者だったという。
21歳で養蚕指導員になった。だが、最初は仕事にのめり込めなかったという。「前例に沿った教科書の範囲から抜け出せない。未熟というか、応用が利かなった」
転機が訪れたのは30歳の時。仕事体験を発表する「全国蚕業技術員体験発表会」に県代表として出場、最高賞の農林大臣賞に輝いた。農家密着型で農家の目線に立ち、何に困っているかを考えながら仕事をしていたことを発表した。「この受賞が自信になった。よしやろうという気概が出た」と振り返る。
養蚕指導は2002年ごろまで。その前後から野菜や果樹などの指導に回るようになった。58歳で退職、今は自ら農業に取り組んでいる。
「さらに効率化、省力化を進めれば、養蚕は今のような衰退した状況になっていなかったのではないか」という思いもある。だが、自分としては燃焼しきったと考えている。今でも担当した地域の人たちが忘年会に呼んでくれる。そんな人間的なつながりが財産だ。