継承 父の「頑張れよ」背に 角田 清美さん(70) 渋川市小野子 掲載日:2007/11/17
祖父と父から受け継いだ桑園に
立つ角田さん
「祖父の代で赤城村から小野上村に移った時、比較的平らな土地を見つけて桑園を造った。それ以来、桑園は1家の大事な財産として家族全員で守ってきた。自分は中学を卒業した16の時からその輪に加わった」
小野子1帯は傾斜地が多く、軽石を含む土壌。野菜を育てるには土地を平らにするなど大掛かりな整備が必要だった。その点、桑は傾斜地でも育つことから適していた。
「当時は農免道路などがなく、人が1人通るのがやっとの細い道を桑採り用のかごを背負って登った。採り始めのころは桑園の入り口付近で仕事が済んだが、だんだんと遠くで採るようになる。重くなったかごを背負って帰るのはつらかった」
祖父と父の指導は厳しかった。桑採り、水くみなど任される仕事は多く、道具の使い方もさまざまで覚えるのが難しかった。「角田の家がどうなるかは、3代目のおまえにかかっていると、たびたびプレッシャーを掛けられた」
「初めの1年はまるっきり生徒だった。農家ってのは本当に大変だなと思い知らされた。1966年に村の飼育場ができるのと前後して祖父が亡くなり、両親と2世代で繭の生産量を増やした」
70年に条桑小屋を建てて、年6回蚕を飼った。祖父がいたころに比べ、生産量は約2倍の1トンに達した。
「次から次へお蚕が来るので、自分の家も含めて設備の消毒が間に合わないところもあった。蚕が白くなって死に、粉を吹く“こしゃり”(硬化病)が起こった家は大騒ぎになった」
55歳の時、父から後を託された。「頑張れよ」。ひと言だけだったが重く受け止めた。父は今年10月に94歳で亡くなった。
「祖父から続くバトンを受け取ったと思っている。息子は農業を継がなかったが、自分は動けなくなるまで養蚕を続けたい」
今も細長い道を軽トラックを運転して桑園に通う。
「昔に比べたら道も道具も便利になった。イノシシ被害に悩まされる野菜に比べたら、お蚕は土地に合った手堅い仕事だよ」