絹人往来

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色染化学科 生徒に心意気と誇り 渡辺 和夫さん(73) 伊勢崎市三光町 掲載日:2006/08/11


伊工教諭時代に作った織物を手に当時を振り返る渡辺さん
伊工教諭時代に作った織物を手に当時を振り返る渡辺さん

 100年余りの歴史を築いた伊勢崎工業高校色染化学科と繊維工学科は1988年に閉科、最後の色染化学科長を務めた。
 「産業構造の変化に伴い、閉科時は機械や電気の方が花形。色染を希望して入学した生徒も卒業するころには、できればそっちに行きたいということもあった。志願者数は減少、就職口も少なかった。100年やってきたことがなくなるのはもったいないし、申し訳ないような気がした」
 群馬大学工学部で色染を学んだ後、55年に伊工の教諭に。定時制で「染め」を教えた。63年からは全日制の色染化学科に異動した。
 「染め屋さんで働いていた師弟が夜勉強しようとできた定時制。繊維と染料のかかわり合いを授業や実習で教えた。25人の生徒がいた。全日制は一クラス55人。色染化学の初歩を指導した。実習棟はレンガ造りのノコギリ校舎だった」
 伊勢崎織物業組合立染織講習所として1886年に発足した伊工。その歴史は色染と繊維の歴史であり、本県の産業教育を担った。
 「色染を学ぶ科は全国的に数が少なく、群馬の場合、前橋の生糸、桐生の織物、伊勢崎の銘仙ということでそれぞれの工業高校にあり、街の産業と深くかかわっていた。色染や機の技術をマスターしようと生徒は一生懸命。実家の染め屋さんをいっそう盛り上げたり、主要人として工場を切り回したいという心意気があった。『伊工の色染』というと企業でも期待されていた。長男が跡を取り、二男三男は京浜や関西地方の大手の染め屋さんに就職した。求人も多くあり、就職率は100パーセントだった」
 伊工で染めと織りの技術を習得した卒業生は4000人を超える。教職を離れてから10年余りの歳月が流れ、感じていることがある。
 「技術は日進月歩。百貨店の婦人服売り場で最近の衣服を見るとよく染まっているなと思う。染料もよくなっている。技術はどっかで受け継がれている。教え子たちはどんな分野でも伊工卒業生としての誇りを持ってやっているだろうし、そうあってほしい。卒業生が頑張っている限り、色染化学科はずっと生き続ける」

(伊勢崎支局 宮崎秀貴)