指導員 老健施設で蚕披露 立川 善悦さん(68) 前橋市河原浜町 掲載日:2006/08/05
「きれいな繭を作ってくれよ」と大切に自宅で蚕を育てている立川さん
「また大きくなったね。いつ繭になるのかな」。蚕を持って老健施設を訪れると、お年寄りが集まり箱の中をのぞき込んでくる。その笑顔を見ると幸せを感じる。
農家の長男として生まれた。小規模農家だったからか、両親は後を継ぐことに反対だった。「おやじに勤め人になれと言われて普通高校を卒業したけど、やっぱり農業関係の職に就きたくてね」
高校卒業後、養蚕講習所に2年間通った。寮生活で1日中、蚕の観察に追われた。技術を習得し、卒業した1960年から32年間、養蚕指導員として旧群馬町の養蚕業を支えた。
初任地は金古農協。旧大胡町の自宅からは自転車と電車、バスを乗り継いで通った。「自動車なんてなかったから大変だった。養蚕業も威勢が良かったから忙しかったしね」
当時、農家によって養蚕技術はバラバラだった。「小さいうちに死んだり、成育してもうすぐ繭を作るという直前で蚕が全滅してしまったり」
63年、旧群馬地区に稚蚕共同飼育場ができてからは、蚕が病気で死ぬことは少なくなったが、安心はできなかった。成育してからの全滅は農家にとって致命的。泣かれたこともあったという。
「この人たちの生活がかかっているんだ、自分がしっかりしないとって思ったね。特別指導した農家もあるよ」。92年に指導員の仕事を辞めるまで、全力で農家と向き合い、指導した。
数年前から自宅で養蚕を始めた。県内の老健施設にボランティアで蚕を持っていく機会を得たからだ。お年寄りに養蚕が全盛期だったころの話しもする。「若いころ養蚕をやっていた人がほとんどだから、話をすると目が輝くんだよ」
お年寄りにとって、蚕を育てることが脳の活性化にもつながるという。8月中旬には、繭を作る直前の蚕を施設に持って行ってお年寄りに見てもらう予定だ。20年前、成育した蚕の体に絵の具を塗って色付き繭を開発した。「(その繭を)見せて、お年寄りが驚く顔を見るのも楽しみ」
かつて指導員だった人たちの中には、まだまだボランティア活動できる人たちも多いという。「みんなで活動してこの輪が広がっていくことが夢なんだ。指導員をやっていて良かったよ」